韓国は、今の北朝鮮と合わせて一つの国でした。北は中国と接しています。この国も日本や中国と同じように、外国と交流することをせず、鎖国をしていました。特にキリスト教が入って来るのを警戒していました。政治的にも苦しい状況に置かれていた韓国の人たちは、中国まで逃げて行っていました。ちょっと今の北朝鮮と似ているような状況がありました。また、中国の人たちと商売をするため、国境を越えて中国までやって来た商人たちもいました。
中国では、韓国より少し前に宣教師が入るのが許されましたが、韓国との国境に近い中国の東北部に当時、満州と呼ばれている地方があって、そこにイギリスから宣教師がやって来て、中国の人たちにイエス様を伝えていました。ところが、その地方には、韓国から逃がれて来ていた韓国人がかなりたくさん住んでいました。そこで、中国に宣教に来ていたイギリス人たちも、韓国人と直接会う機会がたくさんあったのです。
宣教師として満州に来ていた人の中に、スコットランド(イギリスの北部)からやって来ていたロスという名前の宣教師がいました。ある時、ロスは高麗門と呼ばれる中国と韓国の国境にある門のところで、韓国人の行商人に出会いました。ロスは、その人たちやその仲間から韓国語を学び始めました。ロスは、彼らに聖書を教え、やがて彼らはバプテスマを受けて、神様を信じるようになりました。それから間もなく、彼らの助けを借りて、新約聖書を一冊ずつ翻訳していきました。やがて、新約聖書全体を翻訳したのです。
これに協力した韓国人ソン・ヤンスンは、翻訳しただけでは意味がないと感じました。せっかく韓国語の聖書があっても、中国にいる韓国人にしか伝えられないのでは、残念です。そこで、ソンは、聖書を背負って、長い道のりを韓国まで帰ることにしました。途中、国境では、荷物の中に聖書があるのを見つけられてしまい、牢屋に入れられ、聖書は全部取り上げると言われましたが、不思議なことに、その税関の役人がソンの昔の友人であることが分かりました。そこで、なんとかそこを通してもらい、聖書も返してもらい、歩いて何百キロも離れたソウルに着き、そこで聖書をみんなに読んでもらうために配りました。また、その後ソンは、自分の故郷に帰り、そこでイエス様のことを伝えるようになりました。これが、韓国における最初の教会です。こうして韓国の最初の教会は、外国人ではなく、韓国人の力で出来上がりました。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。