一九七八年は多くの新しいことが続いた。
二月末、林実師がサレルド・ベント兄弟とともに学院を訪れた。ベント兄弟は、スラビック・オリエンタル・ミッションの宣教師で、おもにソ連に聖書を運ぶ仕事をしていた。いつも守られていたが、ある時、国境の検問所で自動車を徹底的に調べられ、聖書が見つかった。すぐKGBに拘留され、取り調べは三ヶ月に及んだ。要点は一つだけで、ソ連国内でだれに聖書を渡したかだけを問われ続けた。彼は沈黙した。脅されたり、懐柔しようとされたり、ありとあらゆる精神的拷問が加えられた。しかし彼はイエス・キリストがともにいることを堅く信じていた。三ヶ月経ったある日、取り調べ官は「もう家に帰れるぞ。お前の仲間が全部告白したから、一人で頑張らなくてよい」と言い、ポケットの中から一枚の写真を取り出すと、「家族に会いたいだろうし、もう全部分かっているから、頑張らなくてもよい」と語った。ベントは仲間が話したのならと、自分が聖書を渡したアナトリの名前を言ってしまった。すべてはKGBの策略だった。ベントといっしょに拘留された仲間は、聖書を渡した相手の名前をだれ一人話してはいなかったのだ。ベントは心理作戦に負けてしまった。アナトリはすぐ連れてこられた。ベントは悔しさと悲しさでいっぱいになり、赦しを求めた。アナトリは静かに、「父親がいなくなる家族の名前で赦します」とだけ言うと、同時に引かれていった。
ベント兄弟はスウェーデン人らしい優しさで、静かに自分の弱さを語った。その話を聞くうちに、私の心に何かが燃えはじめた。彼が学院から帰る時、私は「私があなたの代わりにアナトリに会ってきます」と約束していた。
再び信仰だけで行こうと決心して祈り、信仰を告白した。
ソビエト行きを、スウェーデンやイギリスでの旅程も含めて、七月下旬から一ヶ月と決めた。今度も主はすべての必要を、教会員の祈りと献金とともに、多くの牧師やクリスチャンによって奇跡的に満たされた。
聖書を持ち込むのが目的だから、横浜からナホトカまでバイカル号で行くことにした。五十四時間のナホトカ航路を、五〇〇〇トンの船で行く。二十冊の聖書を持ち、聖画カードや地下教会へのおみやげも持った。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)