2月に殺害された後藤健二さんの友人で、米ニューヨーク在住のジャーナリスト西前拓さんが12日、東京・代官山にあるカフェ「山羊に、聞く?」でトークショーを行った。西前さんと共に壇上に上がったのは、後藤さんの母親・石堂順子さん、義父・石堂行夫さん、後藤さんの遺骨回収活動を続けている一水会の木村三浩代表。
西前さんは2002年、仕事でニューヨークを訪れていた後藤さんと出会った。それから、何度となく一緒に番組を作り、世に送り出してきた。またプライベートでも、共に酒を酌み交わし、冗談も言える仲だった。2011年のシリア内戦勃発以降、なかなか会う機会もなかったが、メールなどを通して交流を深めていた。カトリック信徒の西前さんとプロテスタント信徒であった後藤健二さん。生前、信仰の部分については、深く話すことはなかったというが、お互いがお互いを認め、惹かれ合ったのは、心の深いところでつながっていたからなのだろう。
「健二くん、どうしてそんなに危ない所ばかり行くの? 俺は、絶対行けないな。だって怖いもん」と冗談交じりに西前さんが話すと、後藤さんは決まって「だって『呼んでる』んだもん」と答えたという。「この言葉には、主語がないのです。彼が見てきたあらゆる悲惨で過酷な状況が彼を『呼んでる』のか、戦火に怯える子どもたち、もしかしたら、誰か実際に会った子の顔が具体的に浮かんだかもしれない・・・その子が『呼んでる』のかは、今となっては分かりませんが、彼はいつもそう言っていました」と西前さんは言う。
西前さんが事件を知ったのは、ニューヨーク時間の夜中。日本にいた西前さんの妻からの電話だった。「シリアで日本人が拘束されたニュースが流れているんだけど、これ、健二くんじゃないかしら?」の声で飛び起きて、ニュースを確認した。そこに映る友人の姿に愕然としながらも、ニューヨーカーの同僚たちに「お前、何をボケっとしてるんだ! 健二くんを助けなきゃ!」と促され、われに返った。すぐに思いついたのが「I am Kenji」のプラカードを持ち、写真をSNSに掲載することで、後藤さん解放への「祈りの連帯」を示すことだった。「健二くんは1人じゃない。こんなにたくさんの仲間がいることを知らせたかった。中東の地域で、苦しみながら生活をしている人々の間で、健二くんがいかに愛されていたかをよく知っていた。だからこそ、国内外から『I am Kenji』をアピールすることで、なんとか解放に向かってくれればと、祈る思いだった」と当時を振り返る。たった数人で始めたこの活動はあっという間に広がり、フェイスブックのサイトは、3日で登録者は1万人、あっという間に5万人近くなった。イラク、イランをはじめ、中東諸国からも投稿があった。
2月1日に公開された後藤さん殺害を知らせる画像は、信じたくなかったが、受け止めるしかなかった。しかし、肉体は滅びても、「健二くんを死なせてたまるか!」という思いは、日に日に強くなっていった。「健二くんとやりかけた仕事がまだまだある。その仕事を続けていく限り、健二くんは私たちと共にいてくれるのだと思う」と西前さん。
また、この日、西前さんの元にシリアのアレッポに住む男性からメールが届いた。彼もまた、後藤さんの知り合いで、シリア人のジャーナリストであった。西前さんが読み上げたメールには、「私と2人の仲間が、健二と共にアルヌスラ(反政府過激派武装組織)に拘束されたことがあった。その時も、健二は『自分の運命を受け入れる』と言って、とても冷静だった。彼の信仰はあつく、家族や友人への愛も深かった。今となっては、われわれの仲間の度重なる忠告を聞き入れなかったことは残念でならない。彼は、『イスラム国』(IS)が、ただの人殺し集団であることも知っていた。しかし、彼は行くしかなかった。『やると決めたらやる』人だった。アレッポ、シリア国内の様子は、ロシアの直接介入によってますます悪化している。自由、民主主義、平和は遠く、子どもたちを安全な場所で育てることすらできず、他国の援助に頼らなければならない状況になっている。500万人が難民となり、1000万人が住まいを失い逃げ惑っている。健二が大切にしていたシリアの教え子の1人が、パリで写真賞を受賞した。ここシリアでは、われわれが健二を生かし続けている。人々の会話や思いの中に健二は生きている。健二の仲間は、私たちの仲間でもある。健二さんのご家族の上に、皆様の上に祝福があるよう祈っています」とあった。
一方、一水会の木村代表は、事件発覚後、すぐに中東へ飛んだ。現地につながりのあった木村さんは、連絡を取りながら、「とにかく、宗教者、部族長、有識者、誰でもいいから、ISと話ができそうな人と会わせてほしい」と話をした。後藤さんとは、直接面識はなかったが、日本人が拘束され、殺害予告が出ているこの緊急事態にいてもたってもいられなかったという。部族長などと話をしている矢先の2月1日、殺害の一報が入った。「がっかりしたが、もし殺害されたのなら、ご遺骨だけでも持ち帰らせてほしい」と交渉にあたったが、今のところまだ大きな動きはない。同時期に殺害された湯川さんの遺品の一部が日本大使館に届いただけだったという。「この事件に関しては、『検証』が必要。いったい政府は何をしていたのか? どうしてこんな結果になったのか。しっかりと検証し、二度とこんなことがないようにしなければならない」と話した。
母親の石堂順子さんは、事件発覚後からの約3週間、政府からの情報もなく、ただ不安な毎日だったと話す。「今の世界の状況を見ていると、健二が亡くなった数カ月前よりもさらに悪化し、恐ろしい時代に突入しているように思う」と話した。言葉を選びながら、時に涙を拭いながら話す様子は、まだ息子を失ったショックから立ち直れていないことが伺える。
「私は、ここにいる皆さんが健二と同じように、『危ない地域へ向かう』と言ったら、身をていしてでもそれを止めるでしょう。どうか皆さん、お母さん、お父さんに心配かけないように。ご両親を大切になさってくださいね」と話した。その言葉に、そこにいた誰もが心の震えを覚えずにいられなかった。
「火事を見たら、消しに行くでしょう? 山で遭難している人がいたら、誰かが助けにいくでしょう? 健二くんがしていたことはそれと同じ。『伝える』ことで、彼はそこに住む人たちを支援しようとしていた。私たちは、これからも彼の仕事を続けていく。発信することで、つながることでできることがあるはずだ」と西前さんはトークショーを結んだ。