少し前のことですが、真夜中の2時すぎ、女性の叫びと何かを蹴る音で目が覚めました。なぜか、次の日が忙しいときに限ってそういう事件が起こるんですよね。
そっと窓を開けてのぞいてみると、外国籍の酔っ払った女性がタクシーを蹴ってへこましたということで、警察に通報が入り、最初一人の警官が駆け付け、最終的には3人の警官がなだめすかして説得するけれど、一向に解決の兆しがない様子でした。
警官は、「あなた、これは犯罪ですよ! 日本にいるんだから日本の法律に従ってもらわないと困りますよ! これは立派な器物破損罪です!」と言いました。
外国人女性はどこ吹く風、「日本かどこの国かは私には関係ないね! 国際法に従ってやってもらわないと困るわ!」「大使館の人が来るまでここを一歩も動かないぞ!」「あなたたちは人権を犯している! なぜ私をタクシーから引きずり出すんだ!」と叫ぶ始末。
警官は、「タクシー料金を払ってください! タクシーをへこました修理代を支払ってもらわないと困ります。そうじゃないと逮捕しますよ!」と、業を煮やして決めゼリフ。「逮捕する!」と言われた外国人女性は、ひざをついて「オイオイ」と泣き出しました。
しかし、しばらくすると開き直って「人権侵害だ!」と叫びだし、訳が分からないことをわめき、叫び続けます。警官は、「あなたの連絡先を教えてください!」 。外国人女性は、「大使館の人が来るまで教えられません。日本は人権を守れない国なのか!? 昔はこんなでたらめな国ではなかった!」などと持論を展開。
2時間は経過したでしょうか。静かになったので、そっと窓の外をのぞくと、警官の自転車がその場に残されていました。警官が外国人女性を歩いて連行したのでしょう。
このやりとりを聞きながら、いろいろなことを考えさせられました。
1. 人は限りなく自己中心だ!
人は皆、限りなく自己中心です。自己中心性が弱い人は、「あなたは自己中心ですよ!」と忠告されても、「その通りです。申し訳ありません」と言います。
しかし、自己中心性が強い人に、「あなた自己中心ですよ!」何て忠告しようものなら大変です。烈火のごとくに怒って、「何を・・・!! お前こそー!!!」。口だけではなく、手も出てくるかもしれません。自己中心性が強い人は、自分が自己中心だと分からないほどまでに自己中心なのです。
次に、自己中心な人が、自己中心を我慢して、他者中心を演じているとどうなるでしょう。自己中心な人を見ると許せません。極度に毛嫌いし、烈火のごとく怒るでしょう。
しかし、自分の自己中心性を受け入れ、それを改善しようとしている人は、自分の自己中心さが分かっていますので、自己中心な人を見ても、「ムカッ!」とはしません。自分も同じだし、むしろ、自分はもっともっと自己中心な人間だと自覚していますので、寛容になれるのです。
2. 日本人は縮み思考で、人目を気にし過ぎる?!
日本人で自己主張をする人は多くはありません。理由は、集団の中で、自己主張ばかりしていると煙たがられ、嫌われるからです。口を出すなら、その分、多くの犠牲が求められます。だから日本人の多くは、でるだけ自分の思いを封じてしまいます。この外国人女性のように、恥じらいも罪責感も感じずに、もっと自分の意見を堂々と言ったらいいのにと思いました。
アメリカに留学して分かったことがあります。学校の先生が、「それでは質問がある人はいますか?」「答えが分かる人がいますか?」と質問すると、日本ではまず手が挙がりませんよね。仕方なく、先生が生徒を指します。「~君!」と。しかし、アメリカの教室では、ほとんどの学生の手が挙がるのです。
聖書は、キリストを信じた人の心は、「古い自分がキリストと共に十字架につけられて死に、代わりに、キリストがあなたの王であり、主人となった!」と教えます。これは、「自分を神とする自分」に「死ぬ」ことであって、何でも言いなりで自己主張をしない生き方とは違います。もっと自尊心を持ち、正々堂々と自分の意見を述べられる日本人であってほしいと思います。
3. どうしたらこのような女性が怒りをおさめ、冷静に話せるようになるのか?
怒り狂った人をおさめるには、どうしたらいいでしょう。その人を否定して、「おとなしくしろ!」「黙れ!」と怒鳴っても、ますます炎上して、これが女性だったからいいものの、男性だったら大変なことになりました。
否定するのではなく、さりとて肯定するのではなく、あるがままを受容することです。つまり、「ダメですよ!」「イイですよ!」ではなく、「そうだったんですね」「なるほど~」と受け止めるのです。
受け止められたらどうなるでしょう。怒っていた人の戦意はしだいに失われ、イイ子ちゃんになることも珍しくはありません。イイも悪いも言ってないのに、「あなたは話が分かる人だ!」とほめてくれることもあります。さらにすごいのは、「私が間違っていました!」と謝罪し、悔い改めるという奇跡さえ起こるのです。
3人の警官と男性タクシードライバーが、1人の外国人女性を持て余している声を聞きながら、眠ることをあきらめ、いろいろなことを考えました。おかげで、その日は眠い一日でしたが、多くを学ばせていただきました。ありがたいです。
どんなことからも学ぶことができます。神学校と名の付く学校で約15年学びました。これは貴重な経験でした。しかし今思えば、学校と名の付くところでの学びも学びですが、人生で経験することのすべてが学びです。
ことわざに、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という格言があります。私は、歴史から学ぶ賢者も賢い人だと思いますが、経験に学ぶ愚者といわれる人も、そこで学び、その失敗を教訓として生きていくなら、賢者だと思います。
愚者とは、歴史からも学ばず、経験しても何も学ばず、自分を変えることなく、ただ失敗を繰り返すだけの人です。何度失敗しても、そこから何かを学び、少しでも成長していけるなら賢者です。
あなたは賢い人だと信じます。今日も一日、すべてが授業です。良い学びの一日でありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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