長男が誕生した直後から、アメリカのテキサスのインターナショナル・バイブル・カレッジを訪問しようと思った。そこの院長は、クート師の長男のダビデ・クート師が務めていた。私が生駒聖書学院の院長になるという話が出た時、だれかがアメリカのダビデ・クート師に、院長になるのを阻止するよう手紙を書いた。ダビデ・クート師は、榮義之が院長になるのが一番ふさわしいから協力するようにと、牧師会宛に手紙を書いてくれた。そんな経過があったからだ。
アメリカ行きを十月の一カ月間と決めた。ただ信仰だけで行こうと思い、祈りはじめた。教会の週報にも献金のお願いはせず、アメリカに行くとだけ書いた。お金がないけれども、信じて告白するなら不可能は挑戦となり可能となることを試してみたかった。今までに知り合った宣教師たちに手紙を書いた。全員から訪米を歓迎するとの返事が届きはじめた。
旅行社にも航空券の手配を依頼し、準備は着々と進んだ。しかし九月になってもお金は予定の十分の一もない。朝目が覚めると、思わず「お金どうしよう」ということばが出た。毎朝のように言うので、家内に「あなたは信仰によって行くと言っているのに、どうしてお金がないと毎朝言うのですか」と言われた。反省した。翌朝から「お金がない」ということばが出たら、まだその近くにあると思って、そのことばをつかんで投げ捨て、足で踏みつけ、「与えられる」と言い直した。笑われながらも一週間ばかり同じ動作を繰り返すうちに、目が覚めると同時に「与えられた。ハレルヤ!」と自然にことばが出るようになった。おかしなものだが、手元にお金はないのに、気持ちが豊かになった。そして詳しく書けばページが足りなくなるような奇跡が起こり、出発までには新しいスーツやネクタイを買う余裕ができるほど、必要が満たされた。
信じたとおりになると語られた主は、あなたの言うとおりになるとも教えられ、そのとおりにしたら、すべてが備えられた。どこからもサポートも援助もない学院を、神様だけを頼りに維持していける強い確信が与えられた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)