私たち夫婦には、結婚して五年も過ぎても、子どもが生まれなかった。家内は祈ったが何の兆しもなく、心ない人々からは信仰がないからだとかいろいろ言われ、ずいぶん辛い思いをした。病院で調べたら、子どもができにくい体質で、手術をしたら五分五分の可能性はあると言われた。しかし手術の費用もなく、どうしようか迷っていた。
そんなある日、学院で特別聖会があった。私は司会をし、家内はオルガンを弾いていた。アメリカから来た講師が、途中で話をやめると、「オルガンを弾いていた姉妹は、前に来なさい。主人がいたらいっしょに前に出なさい」と言った。何ごとかと前に出ると、「主が言われる。わたしはあなたがたに男の子を与える。失望しなくてよい。あなたの祈りは聞かれた。なぐさめを受けよ」という預言のことばだった。
それから六年後の一九七六年、長男義嗣が誕生した。当時では高齢出産だった家内は苦しめるだけ苦しみ、八時間かかってやっと出産した。
その産院は料金が高いという評判だった。私には国民健康保険しかないから、少しは覚悟していた。しかし退院の日、事務所で請求書を見ると、永遠にここから出せないと思った。何回か数えて見たが、どう数えてもそうとしか読めない。事務所に行き、「間違いではないですか」とびくびくしながら尋ねても、何を言うのかというように、平然と「そのとおりだ」と言う。それでも私の顔があまりにもひどかったのか、もう一度請求書を見てくれた。今度は相手が驚いた。丸を一つ多く付けていたのだ。私にはそれでも高かったというのが、率直な思いだったが。
角掛姉が湯浴みをさせてくれた。結婚十二年目に生まれたということで、今までつき合いもなかったような親戚や多くの友人知人が、お祝いにかけつけてくれた。子どもが生まれると預言したダビデ・ショック師も、アメリカからお祝いの品を届けてくれた。
神の計画に狂いはなく、ちょうど良い時に長男は生まれた。それから一年半後の一九七八年には、娘の愛香が生まれた。神のなさることはみなその時にかなって美しいことを、子どもの誕生でも豊かに経験でき感謝だった。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)