桜美林大学(東京都町田市)で20日、「紛争にどう関わるか~ISISによる日本人人質殺害事件を考える」と題する、同大国際学研究所主催の公開シンポジウムが開催された。「イスラム国」(IS=ISIS)に殺害された後藤健二さんのジャーナリストとしての思想や行動を学びつつ、日本人あるいは国として今後どのように国際紛争に対応していくべきか、同大の教員らと共に考えることを目的に企画された。
司会役の牧田東一教授は冒頭、今回のシンポジウムで後藤さんに注目した理由について、戦場ジャーナリストであっただけではなく、後藤氏が常に難民の女性や子どもといった弱者に目を向けていたことを挙げた。さらに後藤さんがクリスチャンであったことについても触れ、その姿勢がキリスト教主義大学である同大の建学の精神に重なるところがあると言及。後藤さんが遺した「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」の言葉の意味について、このシンポジウムを通してもう一度考えてほしいと訴えた。
シンポジウムは、第1部と第2部に分かれて行われ、第1部は「ISISによる日本人人質事件の背景を探る」をテーマにして行われた。学生が多く参加したこの日は、初めに牧田教授がISの実態や活動の背景について、中東の地図を使い詳しく説明。その後、4人のスピーカーがそれぞれの専門分野から話をした。
国際難民法が専門の佐藤以久子准教授は、シリア難民の保護について話した。難民問題でまず考えなければならないのは「人を支える支援」だと言い、難民を生み出す背景や政治問題よりも難民自体に目を向けてほしいと訴えた。また、イスラム法が専門の堀井聡江准教授は、イスラム法からイスラム過激派の思想について解説。イスラム法が非常に複雑な法律であることを説明し、イスラム過激派が、イスラム教以外の宗教をテロや暴力をもって排斥する行為は、イスラム法のある部分だけを抜き取り、都合よく解釈していると指摘した。
ジャーナリストで非常勤講師の吉岡逸夫氏は、なぜ危険な地域にジャーナリストは行くのかということについて、使命感、名誉、金銭、好奇心などさまざまな理由を挙げた上で、「行く理由ではなく、何を伝えるか」だと、きっぱりとジャーナリストとしての本来の使命を述べた。この日、吉岡氏は、2004年のイラク日本人人質事件で人質となった4人のうちの1人、郡山総一郎さんにインタビューをした様子を映像で紹介。吉岡氏は、ジャーナリストは危険を承知で現場へ行かなければならないと言い、「ジャーナリストは、消防士、警察官と同じだと思っている。(仕事中に)事故が起きるのは当たり前くらいに思ってほしい」と言う吉岡氏の率直な発言に会場は緊張した雰囲気となった。
一方、同大チャプレンの土橋敏良氏は、殺害された後藤さんのクリスチャンとして姿を語った。その中で、後藤さんを「神々しい殉教者としてまつって終わってはならない。それは彼の本意ではない」と言い、イエス・キリストの十字架が復活の始まりであると述べ、「後藤さんの意志を継ぐ本当の活動はこれから始まる」と語った。
第2部は、「紛争への日本の関わり方」をテーマに、登壇者一人ひとりに「日本は紛争に関わり続けるべきか」という問いをぶつけた。シンポジウムを主催した同大国際学研究所の加藤朗所長は、「見たこと、知ったことについては、倫理的義務が生じる」と人間としての義務を語り、「紛争についてはその場に行かなくても報道で知っている。だから、われわれは直接的であれ、間接的であれ関係していかなければならない」と述べた。
また、第2部から参加したジャーナリストでもある早野透教授は、「特殊部隊をつくって紛争地に赴くことも、安全なところから現地の人々を思い続けることも、両方とも違うと思う」とこの質問の難しさを話した上で、「紛争のない世界にするために、いろいろな局面で努力していくしかなく、このことは日本という国の在り方に関わることになると思う」と語った。
まとめとして牧田教授は、「国際協力や、紛争地を取材することは、必ず危険が付きまとう。それでも支援や報道をするのは意義があるからだ」と指摘。危険地域にジャーナリストらが入るこについて日本政府が規制していることへの疑問が、今回のシンポジウムを開催するきっかけだったと明かした。
後藤さんと同じ宮城県の出身だという同大4年の女子学生は、今回のシンポジウムに参加して後藤さんをより身近に感じることができたと語った。また、「将来アフリカで起業したいと思っており、危険な地域で死と隣り合わせで仕事をするとはどういうことかをあらためて考えることができた」と感想を述べた。
同大国際学研究所は、今後もこうしたシンポジウムを開催していく予定だという。