世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は19日から20日まで、東京・青山の国際連合大学で「復興に向けた宗教者円卓会議 in 東京」を開催した。会場にはさまざまな立場の宗教者らが2日間で延べ約200人集まり、東日本大震災以降に起こった事例を報告し、宗教者が担う役割について話し合った。
被災地の現場からの声を聞きたいと始められた同会議。宗教者や大学関係者、特定非営利活動(NPO)法人の代表らが招かれて行われる会議で、今回で4回目となった。開会式では、元日本キリスト教協議会(NCC)総幹事で、現在WCRP日本委員会理事の前島宗甫(むねとし)氏が、「心は内に秘めているだけでは響き合わない。寄り添う以上、その響き合いを大切にしたい」と趣旨を説明。傾聴し、心に寄り添うことが重要であり、「understand(理解)するには、under(下に)+stand(立つ)の姿勢であるべき」だと語った。
各日2つのセッションが行われ、19日に行われたセッション1では、復興庁復興推進参与の田村太郎氏らが被災地の現状を説明。田村氏は、阪神淡路大震災後からの日本の防災の状況について語った。これまではある程度人口が増加し、経済も成長することを前提に復興計画が練られ、若者がボランティアとして現地に入ることが多かった。しかしここ20年の間に、少子高齢化や長い不況により、職住分離が進み、地方には高齢者と子どもしか残っておらず、働き手が都市部に集中するようになった。
このような現状の中で、東日本大震災の復興モデルは人口減少、経済収縮を前提とし、阪神淡路大震災時のような若者の支援に頼れない、世界でも類を見ない復興計画が必要となったという。その中で田村氏は、従来の支援する団体と支援される自治体との「パートナーシップ」ではなく、多様な担い手がそれぞれの責任と利害から関係を築く関係「マルチステークホルダー・エンゲージメント」を提唱した。セッション1ではこの他、障がい者や高齢者、またその家族など、自力での対処ができず、健常者にはなかなか理解することが難しい問題を抱えた立場からの問題提起も行われた。
セッション2では、東北大学大学院教授の鈴木岩弓(いわゆみ)氏や、宮城県で臨床宗教師として活動する高橋悦堂(えつどう)氏らが、宗教者と呼ばれる人たちが被災地でどのような活動を行ってきたかを報告した。日本は宗教文化が豊かである一方、宗教者への信頼度が高いとは言えない。宗教団体が起こしたこれまでの問題の評判に加え、避難所などで布教活動を行い、悪評に悪評を重ねることもしばしばあったという。
しかし、災害時には宗教施設は避難所として大きな役割を発揮。また医療では踏み込めない「死生観」などの角度からのアプローチで被災者の心のケアや、亡くなった人の弔い、慰霊ができる点で、評価が見直されつつあるという。東北大学では、宗教を問わず活動する日本版「チャプレン」である「臨床宗教師」の養成が2012年からスタートしており、これまでに行われた内容が紹介された。
2日目のセッション3では、「災害における宗教者の可能性」について、東北の地元紙「河北新報」の松田博英氏が「タナトロジー(死生観)研究は震災前からあったが、信仰の違う人をどうケアするかが課題」と報道の立場から発言。大阪大学大学院准教授の稲場圭信(けいしん)氏は、内閣府の地区防災計画で宗教施設をカバーしていなかったことによる問題もあったことや、政府主導ではなく、地域単位でのつながりの必要性を指摘した。
セッション4では、「コミュニティーづくりの課題」について話し合われた。放射能被ばくから子どもたちを守る母親たちの活動が紹介されたほか、カベナントチャペル日本人教会の石川和宏氏が、自らの活動の一環として行っているサマリタンハウスや仮設住宅に住む住民の声を紹介した。他にもフリースクール「寺子屋方丈舎」理事長の江川和弥氏が、出口が見えないという発言が頻出する会場の空気の中で、「どうやって居場所を提供するか」について言及。子どもたちが育った“結果”こそ目指すべきゴールであるとし、当事者だけではなく支援者を支援し続け、宗教者が効果的に活動できるプラットホームづくりと、話し合いを避けてしまいがちな資金の確保が、今後の活動のために必要ではないかと語った。
会議の最後には「復興とは震災前に戻すことなのか?」という問い掛けもあった。前島氏は、民主主義とは自分の意見に責任を持つことであり、「何かに依存していてはいけないということを思い知らされた」と述べ、「今後私たちは何を選択するのか、学びながら進むべき道を求め続けたい」と話し、会議を締めくくった。