テレビアニメ「サザエさん」が放送開始されてから45年目に突入したことを記念して、「ありがとう45周年!みんなのサザエさん展」が全国巡回されている。昨年10月に宮城会場からスタートしたこの展覧会は、今年9月の熊本会場まで続く予定だ。
これまでに23都道府県の会場ですでに開催されているが、展覧会の公式サイトによると、いずれの会場も大盛況で、親子3代で訪れる家族が目立つという。また展覧会では、東日本大震災で甚大な被害を被った岩手、宮城、福島三県の漁業を支援するチャリティーコーナーを設け、集まった全金額を寄付する取り組みも実施している。
漁業を支援することにしたのは、海と「サザエさん」に強いつながりがあるためだと、公式サイトでは説明している。アニメ「サザエさん」は同名の漫画が原作で、漫画の作者・長谷川町子(1920〜92)の自伝によれば、「終戦の翌年、西日本新聞から掲載の依頼があった。身近な題材で描ける若い女性を主人公とし、サザエさんと名付け、そのほかの登場人物も全部海産物の名前からとった。これは、当時海岸近くに住んでいたので、朝夕磯辺を散歩しているときに思いついた」とされている。
1920年(大正9年)に佐賀で生まれた町子は、その後すぐに福岡に移った。福岡で高校2年生まで過ごしたが、父親の死をきっかけに上京し、クリスチャンであった母貞子の強い後押しにより、当時『のらくろ』で有名だった漫画家の田河水泡に弟子入りしている。
内弟子となった16歳の町子は、週に一度わが家に帰りたい一心で、「毎週教会に通いたいから、日曜日にお暇がもらえないか」と母を通してお願いしてもらう。ところが、ちょうど田河家の隣に教会があり、そこに田河夫妻と一緒に通うことになってしまった。町子にしてみれば不本意であったが、これがきっかけで田河夫妻は二人そろって洗礼を受けることになる。町子は自伝の中で、「『後なる者は先に、先なる者は後に』という聖書のたとえの生けるサンプルとして、また神様のお役に立つことができた」と語っている。このことは、町子が信仰と共に生きてきたことを証する一つのエピソードでもある。
高度成長期から今に至るまで、日曜日の定番番組として放送され続けてきた「サザエさん」は、日本の標準的なサラリーマン家庭の日常を描いている。しかし、終生独身を貫き、その上人見知りで、あまり社交的でなかった町子自身は、サラリーマン家庭についてほとんど知識がなかったという。唯一、観察していたのが、当時同居していた妹一家だったことを、妹の洋子が書き留めている。
「最も長く放送されているテレビアニメ番組」としてギネス記録にも認定されている「サザエさん」。原作者の信仰にまつわるちょっとしたエピソードを知ると、今なお高い人気を集めているこの国民的アニメを、また一段と親しみをもって楽しめるかもしれない。