米国でトランスジェンダー(身体の性と心の性が一致しないこと)のリーラー・アルコーンさん(17)が自殺したことを受け、トランスジェンダー転向療法の禁止を要請する署名が30万を超えている。
アルコーンさんの本名は、ジョシュア・ライアン・アルコーン。男の子としてこの世に生まれたトランスジェンダーであった。先月28日、自ら命を絶ったアルコーンさんは、自身の遺書が自殺後にブログサービス「Tumblr(タンブラー)」で公開されるように設定していた。
アルコーンさんは、自身の自殺がトランスジェンダーの人々の助けになることを願っていると、遺した最後のメッセージでつづっている。「私の死が何か意味をもたらすことになる必要がある」「今年自殺をした多くのトランスジェンダーの方たちがいるが、私の死もその中のうちの一つに数えられる必要がある」。そして遺書は「社会を何とかして。お願いです」という文で終わっている。
トランスジェンダーの人権擁護団体は、署名募集サイト「Change.org」で、バラク・オバマ米大統領宛ての請願書を作成。トランスジェンダー転向療法の禁止を呼び掛ける署名を募っている。
アルコーンさんは遺書の中で、「母は非常に否定的な反応を示し、『あなたは本当の女の子にはなれない。神は間違いを犯さない。あなたが間違っている』と言いました」と記している。遺書によると、家族は、アルコーンさんを一定期間学校に行かせず、またソーシャルメディアとの関わりからも隔離させることを試みたという。
アルコーンさんはまた、「私の母は、セラピストの所に私を連れて行きました。でも、それはクリスチャンのセラピストのところだけでした(そして皆とても偏見を持っているタイプの人たちでした)。そして実際、私は、うつ症状を癒やすための治療を受けることができませんでした。結果は、私のことを身勝手で、間違っていて、助けを得るために神様に目を向けるべきだと忠告してくるクリスチャンがもっと増えたというだけでした」
請願書では、アルコーンさんの死を招くこととなった転向療法のやり方について、「転向療法は、今回の件、リーラーさんの死でもお分かりの通り、大きな害を引き起こすことが実証されている」などと非難。「子どもの性同一性を、洗脳および転向しようと試みるセラピストは、深刻的に非倫理的であり、同じような悲劇を生み出さないためには何らかの法律の制定が早急に必要である。トランスジェンダーの若者の自殺率は、国内でも最も高いもののうちの一つである。トランスジェンダーの若者に害を与えることが実証されている治療法を用いるセラピストによって、これ以上彼・彼女たちの自殺率を増加させることがあってはならない」と続けている。
そして、このような治療法の禁止を求め、この請願では「リーラー法」を提唱している。
全米トランスジェンダー差別調査によると、人生のある時期に一度は自殺を試みたことがあると答えた人の割合は、2011年には、全米全体では4・6%であったのに対し、トランスジェンダーの人は41パーセントと、著しく高いことが明らかになっている。また、自殺未遂は、同性愛者やバイセクシュアルの人々の間よりも、トランスジェンダーの人々の間でもっと多く見られる結果となった。
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの総称)の若者のためのサポートネットワーク「ダイバース・チャーチ(多様な教会)」の創設者で代表のサリー・ヒッチナー牧師は、修復療法の使用が、英国のLGBTのクリスチャン・コミュニティーの中でも普及していると言う。
「修復療法における私の経験では、LGBTの人々を、祈りやカウンセリングを通じて(本来こうあるべきだとセラピストたちが思っている姿に)まっすぐしようとすることで、その人個人の心と、治療を励まそうとしている教会及び友人、家族との関係の両方に莫大なダメージを与えてしまうのです」とヒッチナー牧師は言う。
「ダイバース・チャーチのゲイやバイセクシュアル、トランスジェンダーの若者たちの多くは、単発的もしくは継続的な修復療法を過去に受けたことがあり、その誰もが深く傷つき、その治療がうまくいかなかった結果、しばしば自殺願望や、神様では解決することができなかったという失望感を経験しています。自分自身が誰であるかということを変えさせようと強いることでは、若い人たちは逃げて行きます。特に、自分が自分として愛されていないという深い傷を心に与えます。私は、心からこのようなことを文化から撲滅していくよう求める米国の兄弟姉妹たちを支援します」
アルコーンさんの死後も、両親はこの問題に関し自身らの宗教的信念を維持している。
「私たちは、宗教的にこのこと(トランスジェンダー)を支持することはできません」。母親のカーラ・アルコーンさんは、米CNNとのインタビューでこう語った。「しかし、私たちは無条件で愛していることを彼に伝えていました。私たちは何があっても彼を愛していました。私は息子を愛していました。人々はそれを知るべきです。彼は良い子、良い息子でした」
母親はまた、息子が「リーラー」という名前について話したことはなく、その名前を初めて見たのは遺書を通してであったと話した。