ルイスによれば、科学が魔術のように扱われてサイエンティズムに至る3つの理由があると、ウェスト氏は論じる。
1)科学は宗教の代わりとして機能することがある。
今日科学はしばしば世俗の宗教のような様相を呈していると、ウェスト氏は指摘する。例えば「ダーウィンの日」のような休日もあり、「リーズン・ラリー(Reason Rally)」など、まるで福音派のような伝道大会すらある。
2)科学は懐疑的態度の欠落を助長することがある。
一見すると、これは逆ではないかと思えそうだ。普通の懐疑的な態度は科学的プロセスの要である。知識が深まり、新しい発見がされるのは、科学的に出された結果を吟味し、代わりの仮説を試みることによってである。
しかし、科学といえども、科学的に裏付けられるとされる見解については無批判に受け入れる傾向があることにルイスは気付いていた、とウェスト氏は指摘する。
ルイスの時代には、ほとんどの科学者が優生学、あるいは人間の遺伝子プールを改善すべきだという信条を支持しており、その見解は科学的に支持できると論じていたという。このような見解は、例えば犯罪者や障害者のような、一般人より価値が劣っていると見なされた人々の強制的な断種という政策につながった。この政策はナチス・ドイツのような独裁政権において実際行われていただけでなく、米国や英国など民主主義国家においても支持されていた。大多数の科学者が支持することに反対すれば、「アンチ・サイエンス」と非難されたという。
ルイスは『サルカンドラ―かの忌わしき砦』の中で、オックスフォード大学の同僚たちの信じやすい性質を揶揄している、とウェスト氏は指摘する。登場人物の一人が労働者階級をだますのは難しい、なぜならエリート階級の言うことはプロパガンダだと決めてかかっているからだと主張する。「だが、教育を受けた層、インテリ雑誌を読むような連中は状況を変える必要もない。すでにこと足りている。だから彼らは何でも信じるのさ」
3)科学は権力と支配を求めることがある。
サイエンティズムの最大の危険は、権力と支配を求める傾向だとルイスは信じていた、とウェスト氏は論じる。サイエンティズムの信奉者は、科学によって、まるで魔法のように、世界の全ての問題を解決してみせると約束する。
ルイスのエッセイ『Willing Slaves of the Welfare State(福祉国家の自発的奴隷たち)』は、非常時には大衆はよりよい未来のため、「万能の世界規模のテクノクラシー」に自らの自由を預けてしまうことがあるという懸念を取り上げている。
「進歩についての問いは、われわれは一体個人的なプライバシーと自由を失わずして、テクノクラシーによる世界的規模のパターナリズムに屈する方法を見つけられるかどうかという問いになった」と、ルイスは書いている。「刺されることなく、最強の福祉国家の蜜を得ることは可能なのか」
ウェスト氏は、ルイスの科学ジャーナリズムに対する懸念が現代にも通用する例を挙げる。1990年代以降、科学による「権威主義的口調」が「劇的に増加した」という。科学ジャーナリズムはますます頻繁に、「科学的に必要である」「科学的に要求される」「科学的に決定付けられる」などの表現を使うようになり、公共政策においても「科学的に決定付けられる」立場を主張することが多く、このような立場に反対すれば「アンチ・サイエンス」というレッテルを貼られるという。
例えば、米NBCの医療部の編集責任者が自分は「プロ・サイエンス」だと言って、病気を持つ胎児の中絶に賛成するといった例を、ウェスト氏は挙げた。
また、ウェスト氏は一部の科学者たちの権威主義的な傾向を指摘する。例えば、イギリスの科学者ジェームズ・ラブロック氏は、地球温暖化の問題に対処するには、「一時的に民主主義を保留にする必要があるかもしれない」と発言した。また進化動物学者のエリック・ピアンカ氏は、2人以上の子どもを持つ夫婦から全財産を没収する権力を政府に与えることで、世界の人口を90パーセント減らすべきだと論じた。さらに、進化生物学者のダニエル・リーバーマン氏は、「強制が必要になるように進化したので」政府に皆の食生活をコントロールする権限を与えるべきだと論じた。
しかし、ウェスト氏の講演は明るい展望で締めくくられた。ルイスは、サイエンティズムに対する治療法は科学自身から生まれるかもしれないと言ったが、ウェスト氏はこれが実際に起こりつつあるかもしれないと考えている。
「生物学、物理学、認知科学における新しい発見は、科学的唯物論の最も基本的な見解に対して疑問を投げ掛けています」と、ウェスト氏。「物理学においては、われわれの物質そのもに対する理解がますます非物質的になってきています。生物学においては、複雑な生物学的システムとDNAに組み込まれた大量の生物学的情報が自然界における目的の存在を指し示しているようだと、科学者も考え始めています。認知科学においては、精神を単に脳の物理的なプロセスとして説明する試みが失敗し続け、新たな研究では精神はそれ自体として受取らなければならない非還元的現実であるという証拠が提示されています」
■ C・S・ルイスはサイエンティズムの台頭を予測していた:(1)(2)