8月4日から9日まで、市川市国府台病院への入院が単に私事にとどまらず、一つの契機となり、「出来事をことばに、ことばが出来事に」と、小紙が与えられている二重の役割を、2014年8月15日を迎える中で、新しい思いで受け止める恵みの機会になりました。
出来事を言葉として紡ぐ報道提供の役割に重ねて、ことばが出来事を生み出す諸論説を発信し続けて行く。この二本の柱が、日ごとにまた週ごとに、小なりとは言え、クリスチャントゥデイ紙全体を貫いているとの自覚です。
直面する出来事を言葉へと、記者各自が責任と喜びをもって紡いでいく。その際、現場の目撃者の言葉が、いかに生かされて行くかを大切にし、目撃証言の文字化を手伝う。そこに自らの居場所・視点を定め、記事全体が証言としての性格を付与される記述の営みに重ねて行く共同作業を進める記者各位への期待を深めます。そうです。自らが記者であるばかりでなく、現場に新しい記者が誕生する役割をも担うのです。
こうした記者各位に対して、なお編集長の役割があるとすれば、どんな小さい人や事をもあなどらず、どんな個人にも勢力にもたじろがない一事を、記者各位の背後にあって、念じ続ける一念であり、「同喜・同泣」(ローマ12章15節、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」)の思いに満たされ続ける日々にあると思い定めています。
(文・宮村武夫)