レビ記18章
(1)レビ記18章と19章の関係
18章3節「あなたがたは、あなたがたが住んでいたエジプトの地のならわしをまねてはならない。またわたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地のならわしをまねてもいけない。彼らの風習に従って歩んではならない」の詳しい説明が18章。
そして18章4節「あなたがたは、わたしの定めを行い、わたしのおきてを守り、それに従わなければならない。わたしは、あなたがたの神、主である」に見る神のおきてを守る生活について、19章で詳しく展開されています。
18章は、礼拝の生活(礼拝と生活が分離されない)の根本原則、エジプトの道にもカナンの道にも習うな。特に注意すべきは、偶像礼拝と不品行。つまり主なる神との関係と人との関係のいずれにおいても、真実が求められています。
◆ 創世記50章、父ヤコブを葬るヨセフの場合
エジプトではエジプト式の葬儀を行わない、50章4~9節。同時に、ヨルダンの向こうの地(カナン)でも、住民が自分たちのやり方と違うと認めており、カナン式でもない。
10節「彼らはヨルダンの向こうの地ゴレン・ハアタデに着いた。そこで彼らは非常に荘厳な、りっぱな哀悼の式を行い、ヨセフは父のため七日間、葬儀を行った」に見る葬式は、エジプト式でもカナン式でもない独自のものであり、ヨセフたちの心からの葬りです。
私が沖縄で提唱していた葬式の神学の基盤がここにあります。首里福音教会で、告別式や記念会でのメッセージ、さらに記念誌の発行や記念卓球大会など記念の行事や基金の設立を通して実践。
何よりも一人の人の誕生、生涯、死の全体を通して、主なる神が私たちに伝えようとなさっているメッセージを聞き取り、それを特定の人やグループに生涯をかけその実現(御心の天になるように地にもなるように)のため祈り続けるように心に伝えて行く。
私たちキリスト者・教会独自の葬り・葬式を求める必要を覚えて、それを生活の全般に渡り実践していく、これがレビ記18、19章の課題であり、実に徹底した規模壮大な、また見方によってはやりがいのある課題です。
レビ記が明示している礼拝の生活とは、イスラエルの民がエジプトの道でも、カナンの道でもなく、第三の道を進むべきことを示す。私たちに即して言えば、古い日本の習慣でも、新しい欧米の習慣でもない、第三の道、新しい文化、キリスト中心の文化の創造であり、その豊かな展開です。
(2)18章の分解
① 2節前半
② 第1の訓戒、2節後半~5節
A.主なる神の自己啓示、2節後半、「わたしはあなたがたの神、主である」。
B.訓戒そのもの、3~5節
イ.習慣について二つの禁止、3節「あなたがたは、あなたがたが住んでいたエジプトの地のならわしをまねてはならない。またわたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地のならわしをまねてもいけない。彼らの風習に従って歩んではならない」。
ロ.主なる神の自己啓示に基づき、主なる神の律法に従えと二つの勧め、4節と5節「あなたがたは、わたしの定めを行い、わたしのおきてを守り、それに従わなければならない。わたしは、あなたがたの神、主である。あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。わたしは主である」。
③ 性的関係についての律法、6~23節
A.一般的な律法、6節
B.二組の律法、7~17節
C.近親相姦に対しての禁止、7~18節
D.禁止されるべき性的関係。国家の緊急な事態や誓いの真実さを示すため子どもを犠牲として献げるモレクを厳禁、19、20節
④ 第2の訓戒、24~30節
A.禁止そのもの、24~30節前半
イ.歴史的現実に基づく訓戒、24、25節
ロ.約束の地からの追放に言及しての禁止、26~29節
ハ.これらの律法順守の励まし、30節前半
B.主なる神の自己啓示、30節後半
(3)18章の中心点
① 「わたしはあなたがたの神、主である」
2、4、5、6、21、30節。19章ではさらに多く14回繰り返し強調しています。
わたし―あなたがた(あなた)=民、群れ、同時に個人
神と民の契約関係、我と汝の関係、人格関係。この関係において、神の恵みが常に先行、民の応答の基盤。恵みを無にしない、参照Ⅰコリント15章10節。人間は呼びかけられ、応答する存在→呼応関係。ではどのように応答するのか。
3節・・・しない。消極的な側面。生かされている環境、情況の中で。この点は18章で展開。
4節・・・する。積極的側面。19章で展開。
具体的な内容は、不品行と偶像礼拝に対して。参照使徒の働き15章、エルサレム教会会議の確認事項。
② 18章の背後にあるのは、家族、家庭の重要性
夫婦の絆の大切さを明らかにすることにより、婦人の立場の重視。決して婦人を軽視していない、ましてや無視していない。主なる神のみ生ける神、申命記5章26節、ヨシュア3章10節、エレミヤ10章10節、詩篇18篇47節。偶像礼拝における土地の豊饒(ほうじょう)と性的混乱、多産。これに対して明確な否定。参照ローマ1章18~32節。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『哀歌講解説教 哀歌をともに』、『ルカの福音書 味読身読の手引き①』以上クリスチャントゥデイ、など。
■ 外部リンク:【ブログ】宮村武夫牧師「喜びカタツムリの歩み」