スーダンでキリスト教徒として育てられ、キリスト教徒の男性と結婚したことで今年2月に逮捕され、死刑と鞭打ち100回を宣告されたメリアム・ヤヒア・イブラヒム・イシャグさん(27)を救おうと、同国当局に抗議する運動が国際的に広がっている。その一方で、同国の駐米大使館は「メリアムさんの事件は宗教でも政治でもなく法的問題だ」として、この問題を政治化させるのは賢明ではなく危険だなどと主張している。
インターネット上では様々な著名運動をホストしているウェブサイト「Change.org」で、オンラインの署名運動が多くの国々の市民によって行われ、署名者数は28日現在で56万人を超えている。
この署名運動を発信したある女性は、「私がメリアムさんについてのニュースを読んだとき、じっとしていられなかったので、この署名を始めました。世界中の人々がナイジェリアでさらわれた(少女たちを取り戻す)#bringbackourgirls(という運動)に対する意識を高めるために運動をしました。私は世界がメリアムさんのためにも立ち上がることを望みます」と記している。
「女性が自分の宗教を選んだことで死刑にされるかもしれず、異なるとされる宗教の男性と結婚したことで鞭打ち刑を受けるなんて、忌まわしいことです」と彼女は記している。「信教の自由に対する権利を尊重して処刑をやめるよう、スーダン政府に要求しましょう!」
また、信教の自由のために活動しているキリスト教国際NGO「世界キリスト教連帯(CSW)」も、「彼女はいま20カ月の息子マーティン・ワニ君と、そして生まれたばかりの女の子とともに、投獄されています。このひどい不正義が起きるのを許さないようにしましょう」として、今すぐ行動をとるよう呼びかけている。
CSWの最高責任者であるマーヴィン・トーマス氏は、「イブラヒムさんと彼女の赤ちゃんが元気だと報道で聞き、私たちは嬉しく思っています。しかしながら、私たちは当局に対し、イブラヒムさんの夫と弁護士が彼女たちに確実に会えるようにするように、また彼女たちが医療の世話を受けることを確実に保証されるよう、強く要求します。CSWはスーダン当局に対し、メリアム・イブラヒムさんに対する、この非人間的で根拠のない刑罰を無効にするよう、そして彼女とその幼い子どもたちをすぐに釈放するよう、要求し続けます。彼女に対する嫌疑は、スーダンの暫定憲法とスーダンが締約国である条約の下で保障されている、信教ないし信条の自由に対する彼女の権利の侵害です」と述べている。
国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルはこうした運動の先頭に立っている。アムネスティ・インターナショナル日本も19日、公式ウェブサイトで、アラビア語、英語、もしくは日本語で以下の内容のアピールを作り、スーダンの法務大臣や外務大臣、駐日スーダン大使館に、ファックスやメールで送るよう呼びかけている。
- イブラヒムさんは、信仰と信念を理由に有罪とされた良心の囚人だ。当局者に即時かつ無条件で彼女の釈放を要請する。
- 国際人権法に定められたスーダンの義務を順守し、かん通と背教を犯罪とする刑法126条、146条を廃止するよう当局者に要請する。
- 死刑廃止への第一歩として死刑の執行を停止し、むち打ち刑を廃止するよう当局者に求める。
これに対し、ワシントンDCにあるスーダン大使館は、公式英文ウェブページで、「一部の公式声明や報道は、スーダンの市民としてのメリアムさんの市民権を奪って人権を侵害しているとして、誤ってスーダン政府を非難しているため、遺憾をもって注目した」と述べ、次のように記している。
スーダン政府の公式記録が示すところでは、この事件でメリアム・イブラヒムと呼ばれている女性の本名は実は「アブラール・ムハンマド・アブダラ・アブガディーン」であり、彼女の名前がメリアム・イブラヒム・ヤヒアに変えられたことを示す公式記録はない。アブラールは1986年1月1日にアルガーダレフ州のウム・シャグラでイスラム教徒のスーダン人の両親の下に生まれたのであり、母親がエチオピア出身の正教のキリスト教徒だというのは真実ではない。
この事件の背景に政府の官庁はいない。むしろ、彼女の直近の家族が、自分たちの娘が行方不明だと伝えたのであり、その後、そして彼女が見つかって自分がキリスト教徒だと主張した後、その家族が彼女に対して背教のかどで提訴したのだ。
裁判官の判決は、2014年2月以降に全ての関係者に聴取した後に第一審でなされたもので、それは、もし控訴裁判所、最高裁判所、そして最終的には憲法裁判所という三審によって確定すれば、少なくとも2年後に執行されることになる。スーダンの司法機関は独立しており、スーダンの裁判官たちは資質と威厳を持っている。
この事件は依然として法的問題であり、宗教や政治の問題ではない。似たような基礎を持つこの2つの平和的な宗教同士で宗教的な緊張に拍車をかけるのは賢明ではなく危険だ。特に、選択の自由がイスラム教とキリスト教の両方の要石であることを強調することが大切である。
あらゆる人権と信教の自由に対するスーダン政府の責務を再確認する一方で、ワシントンDCのスーダン大使館は、この問題に関する関心や同情を寄せてくださった全ての人々に感謝を申し上げたい。