「レ・ミゼラブル」著者であり、フランスの詩人・小説家の「ヴィクトール=マリー・ユゴー(Victor-Marie Hugo)」は、「人生最上の幸福は、自分自身のいかんにかかわらず愛されているという確信である」と言いました。
人が最上の幸福感を感じる時は、「愛されている」と実感する時です。私たちは、この「愛されている」という実感が必要な存在です。人は、生まれてから3歳くらいまで、通常、親からの無条件の愛を受けるものです。そういう愛が必要だからこそ、赤ちゃんはかわいらしくあるのではないかと思います。私の友人は、自分の子を「食べちゃいたいくらいだ」と言いました。
しかし、3歳を過ぎたくらいから、無条件の愛は条件付の愛に移行し、教育がはじまります。教育は必要です。しかし、この教育が教育となるためには、3歳くらいまでに無条件の愛を受けるという土台が必要です。教育とは、「そのままではダメですよ」というメッセージだからです。
今、多くの若者が子どもの頃から適切な教育を受けなかったことによって、わがままになり、人の話が聞けなくなり、社会に適応できなくてニートになったり、精神病をわずらったり、引きこもりになってしまっています。
親御さんに会ってみますと、非常に優しい方々なのでびっくりすることがあります。わがままな姿に対して教育をしないで、「いいよ、いいよ」と言って、言われるままに物を買ってあげたりしたのかも知れません。あるいは、無条件の愛を注がなくて、教育をしたときに教育が教育として受け止められなかったのかも知れません。
今からやり直すことは出来ないでしょうか? 無条件の愛を親から受け直すことはもう不可能です。人は、受け損なった無条件の愛を求めて恋愛をしたり、結婚をするのではないでしょうか。しかし、そこに無条件の愛はありません。お互い、愛されたい人だからです。それを友人に求めたり、物質や名誉に求めても、求める愛は得られません。
一つだけ無条件の愛を受けられる方法があります。イエス・キリストの十字架を通して与えられる神の愛です。神の愛は、今、この瞬間にも、あなたが信じるなら与えられる愛です。3歳までに受けそこなった無条件の親の愛をはるかに超えるものです。だから神にあっては、人生をどこからでもやり直すことが出来るのです。
私は、18歳の時に神を信じてクリスチャンになりました。それからも、紆余曲折はありましたが、一つだけ失わなかったものがあります。神から愛されているという実感です。図々しいくらいに、神は誰よりもこの私を愛して下さっていると感じています。どんな状況の中にあっても、どんな試練が押し寄せたとしても、幸福感を失うことはありません。
あなたは、親の愛をあまり受けられなかったかも知れません。何らかの事情で親の愛を知らないかも知れません。しかし神は、孤児(みなしご)の父です。「たとい親があなたを捨てたとしても、私はあなたを捨てない」と語られます。
神は、キリストの十字架を通してあなたを誰よりも愛しておられます。この事実を神の声として聴き、信じ、受け入れて下さい。無条件の愛こそ、あなたに絶対不可欠な人生の土台なのです。この愛があなたに注がれ、実感されているならば、どんな教育も素直に受けられますし、どんな逆境をも乗り越えて行くことが出来ます。
無条件の愛は、あなたの行い、あなたの過去、あなたの現在の生き方に左右されない愛です。そのままの姿で、あなたを造られた神の前に進み出て下さい。キリストは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」とあなたを招いています。キリストに出会い、キリストに抱かれて、この愛を実感して下さい。祝福がありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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