聖書で「教会」と訳された言葉の原語は、ギリシャ語で「ἐκκλησία」(エクレシア)です。新約聖書に87回使われています。
「エク」と「カレオー」という二つの言葉からなり、「エク」は「~から」という意味があり、「カレオー」は「招く、大声で呼ぶ」という意味があり、「呼び出された者たちの集まり、会合、会衆」などの意味があります。
一般に教会と聞いてイメージするのは、看板のついた教会堂のことだろうと思います。でも、教会とは教会堂ではなく、クリスチャンの集まりのことを指します。教会は「建物」ではなく「人々」ということになりますと、十人十色の違う人たちがそこに集まっています。
2つの大切なことがあります。
①「多様性」
②「一体性」
の2つです。この2つの矛盾が1つになった実例が身近にあります。私たちの体です。体ってすごいですね。数え切れない多様な器官から成り立っていますが、頭の指令によってちゃんと統合されています。
聖書は、さらに「教会」のことを「キリストの体」であると教えてくれます。体の一つ一つの器官は私たち一人一人のことで、頭の部分はイエス・キリストです。体のそれぞれの個性が殺されることなく生かされ、かつ調和して一つになるのが教会の本当の姿です。
教会には様々な教団・教派や宗派があります。カトリック教会、オーソドックス教会、プロテスタント教会。私はプロテスタント教会に所属しますが、この中に、社会派、福音派、聖霊派があります。人間に多様性があるように、色々な流れの教会があることはとても素晴らしいことです。
しかし、これだけでは片手落ちです。その宗派・教派・教団・グループなどが、頭であるイエス・キリストによって一人の人のように統一されることが必要です。そうでなかったら、一つの体の中に複数の指揮系統があるとしたら、体が分裂し、争い、大変なことになります。
教会は、たくさんの個性が、イエス・キリストによって調和され、統一される場所です。
そのために必要なことは、
①互いに一致しようと努力することではなく、それぞれが頭であるキリストにしっかりと結ばれることです。そうしたら、結果として全体が一致されるものです。
②愛によって、互いにしっかりと結び合わされて、違いを尊重・尊敬し合い、互いに学び合い、キリストが私たちを十字架で愛して下さったように、許し合い、受け入れ合い、愛し合って行けるように祈ること。
教会に集まってくる人たちは、きれいにきよめられた善人や義人ではありません。赦された罪人です。だから、実際には調和し切れず、いろいろな問題が起こることがありますが、そんな時、独裁国家が恐怖政治によって統率するような不自然なことをするのではなく、愛によって人は成長していくのです。
読者の中で教会にいっていない人がいたら、あなたも教会にいらっしゃいませんか?
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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