■とんでもない職場でのチャレンジ!
私は、その職場に行って最初の日に、これはとんでもない所に来てしまったと思いました。なぜならその職場のオーナーは元暴走族のリーダーで、見た目もいかつく、職場の社員に対して信じられないくらい怒鳴るのです。
私は後悔しました。でも、私はこの職場で頑張ろうと決めました。そんなある朝、職場に行くと、オーナーが鬼みたいな顔で電話しているのです。「どうしたのですか」と聞くと「あいつが来ないんだ! 電話も繋がらないんだ!」と言っているのです。結局そのまま社員は行方不明となりました。
その後、オーナーが私のところに来てこう言いました。「おまえは逃がさないぞ!」。困ったことに、そのオーナーは我が家のすぐそばに住んでいました。「もう捕まった!」と思いました。
それから1か月も経たないうちに、私はその職場のリーダーになっていました。それからが私にとっての本当のトレーニングでした。私は毎日怒られました。そして毎日のように泣いて帰りました。翼があったら飛んで逃げたいと思いました。夜、眠りにつくとオーナーが鬼みたいな顔で夢に出てきて「コラ!」と言って怒るのです。そのたび飛び起きました。もうその頃には体重が49キロしかなく、本当に骨と皮だけになってしまいました。
ある夜、いつものように怒鳴られて家路につきました。その日は寒い夜でした。自分の部屋に入り、ひざまずいてすぐ祈りました。その時、今までどうしても出て来なかった一言が口から出てきました。それは「神様、ごめんなさい!」というひと言です。それから私は続けて「本当に私にはあなたが必要です! イエス様! 私はあなたのもとに帰ります! イエス様! 私はあなたを求めます! 主よ、赦して下さい!」と祈り出しました。
そのことがあった時から、神様との関係が繋がっていきました。悔い改めは、神様と繋がる第1歩です。それ以来、神様に向かって歩むことが自分の人生の楽しみになりました。でも仕事ではストレスだらけです。いつも職場に対する恐れがありました。だから少しでも時間があればトイレに駆け込み、そこでひざまずいて祈りました。「主よ助けてください! 今日の働きもあなたの助けがなかったら私にはできません!」
トイレが私の憩いの場、主を礼拝する場所でした。もう汚くても全然構いません。私はひざまずいて、そこでよく祈っていました。
■イエス様のために生きていく決心!
やがて、日曜日に教会に行くことが私にとっての一番の楽しみとなりました。そこで神の家族とともに時間を過ごす。神を賛美する。その時間が自分の人生にとっての何よりも貴重な時間となりました。
そんな時、ある集会に参加しました。ちょうどゴールデンウィークの時期でした。その中でゲストスピーカーの先生がメッセージの後、招きをしました。「今日この中で牧師に、宣教師に、また伝道師に、また将来、神様のために人生を捧げたいと思っている人は手を挙げなさい!」
私はその祈りの言葉が自分の耳に入った瞬間、何か衝撃みたいなものを感じました。自分の人生の中で初めて手を挙げてみたいと思ったのです。でも挙げられませんでした。あげる勇気がなかったのです。なぜなら周りに自分の兄弟や友達がいたからです。手を上げたら絶対笑われる、みんなに後できっとばかにされると思ったのです。
するとそのメッセンジャーがもう一度しつこく聞きました。「今日この中に確かに、将来牧師に伝道師にまた宣教師に、神様の働きに自分の人生を捧げたいという人がいるはずです! 手を挙げなさい!」
私はその瞬間、手を挙げていました。そして祈ってもらいました。この祈りの後、私の心の中に喜びがわきあがったのです。それは自分の人生に生きる道を発見した瞬間でした。「自分も生きている意味があるんだ!」。心の中から喜びがあふれ、それをどうしたら良いのかわからないくらいでした。
それから私は、沢山のノンクリスチャンの友達に電話し、イエス様のために生きていく決心を伝えました。でもみんな口をそろえて「無理だよ!」「そんなの似合わないからやめた方がいい!」、そう言いました。
でも母親なら信じ喜んでくれるだろうと思って連絡しました。すると母親も、「あなた、ちょっと考え直しなさい!」という返事でした。それは無理もない事です。何故なら以前の自分を母は良く知っていたからです。
友達もだめ、母もダメ。自分の心は落ち込みました。自分は捧げたいと思う。自分はイエス様のために何かしたいと思う。でもこんな自分を捧げたところでいったい何になるのだろう。何ができるのだろか。自分を捧げたいと思っても、神様はこんな小さな者を必要としていないんじゃないか。そんな思いが心の中に広がって行きました。でもある時、職場から帰って聖書を読むと、1つの言葉が、私を献身へ導く確かな確信となりました。
それは1人の盲人の話です。盲人は道でホームレスの生活をしていました。エリコという町に向かう道端に座っていました。そして彼の生活は、道端から「お金をください!」「食べ物ください!」「わたしをあそこまで運んでください!」「私を助けてください!」と、人々から助けをもらう事だけがすべてでした。
しかし、彼がそこに座っていると、今まで聞いたことがない人々の足音、話し声が聞こえてきました。彼は人に聞きました。「どうなっているんだ?」「何故こんな大勢の人が来るんだい?」と。
するとある人が答えました。「今からイエス様がここを通るのだ!」。その瞬間、彼は立ちあがったのです。今まで彼は物乞いをしていました。しかし、その彼が立ち上がって叫び声をあげたのです。「ダビデの子イエス様! 私がここにいます!」「私を憐れんで下さい!」「ダビデの子のイエス様! 私を憐れんで下さい!」
彼が大声で叫び出した瞬間、周りは怒り出しました。「うるさい! お前がイエス様を求めても何も変わらないのだ!」「うるさいからいつものようにそこに座っとけ!」
人々は彼を無理やり座らせようとしました。しかし彼は叫び続け、その声がイエス様の耳に届きました。イエス様は彼のところに来て、彼に尋ねます。「私に何をしてほしいのか」。彼はすぐに答えます。「目が見えるようになることです!」
イエス様が「あなたの信仰が直したのです。あなたの信仰の通りになれ!」と言った瞬間、彼の目は見えるようになりました。彼は喜び賛美しながらイエス様の後をついて行きました。
この時、周りの人達はどのような反応をしたのでしょうか。ルカ18章43節には「彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した」とあります。今まで人々が叱りつけ、叫ぶのを止めさせていた盲目の男が癒やされてイエス様についていくその姿を見、そこにいた民はみな神様を賛美するようになりました。
その御言葉を読んだ瞬間、私は「これだ!」と思いました。私を誰も期待せず、自分自身もある意味で信じられない、そんな小さな存在の私でも、この盲人のように立ち上がってイエス様を求め、変えられて行く時、必ず、人々の内に賛美がわき上がる。人々は、本当に神の素晴らしさをほめたたえるだろう。そう思いました。
だから皆さん。自分のことを小さく思ったとしても決して失望しないでください。だれがあなたにできないと言ったとしても、私たちは諦めてしまう必要はありません。自分は取るに足らないちっぽけ過ぎる、中学生だから、高校生だから、経験がないから、そのように思って、自分を小さく見る必要はないのです。
イエス様は私たちがどのような存在であったとしても、立ち上がって主の名を呼ぶ者たちを通して、大いなる栄光を現すことがおできになるお方だからです。あなたを通して、神の名が褒めたたえられるのです。あなたを通して、周りの人々に神に向かう賛美がわき上がることとなるのです。
ある意味、私たちは立派すぎない方がいいかもしれません。私たちが立派すぎると、人はあの人が立派だからできたのだと思うかもしれません。でも小さな私たちが立ち上がって行くとき、その栄光は神に、イエス様の御名だけが褒めたたえられることになるのです。(続く)
●このコラムは、CFNJ(クライスト・フォー・ザ・ネイションズ・ジャパン)聖書学院発行の「CFNJ NEWS」(2013年6・7月号)から転載しています。YFN(ユース・フォー・ザ・ネイションズ)2013のメインスピーカーとして富田慎吾牧師が語ったメッセージです。YFNで語られたメッセージは、全て無料で視聴することができます。YFNのホームページ(外部リンク)にアクセスしてください。
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富田慎悟(とみた・しんご)
新宿シャローム教会のユースパスターとして複数の礼拝をリードし、現在は24時間365日の祈りの家「SHOP(Shinjuku House Of Prayer)」のディレクターも務めている。また、日本各地の若手の牧師達と祈りのネットワークを持ち、日本各地で祈り会を行っている。
CFNJ(クライスト・フォー・ザ・ネイションズ・ジャパン)聖書学院
1985年4月にチャールズ&ダイアン・グリコ夫妻により、教派を越えたすべての神に仕えたいと願うキリスト者のための短期聖書学院として北海道に創立された。以来、聖霊に満ちた多くの働き人を送り出し、日本における神の栄光の訪れと「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を伝えよ」の命令を成就するために前進している。
学院は、石狩市の閑静な住宅街の中にあり、自然豊かで雄大な茨戸川に接し、花や緑があふれる静かな環境にある。学生が充実した学院生活を送れるように、専用のホールを設置した校舎をはじめ、インターネット接続を完備した図書室、専用の音楽室、児童ミニストリーのためのキッズホール、独身寮、家族寮など最適な環境を用意している。
■外部リンク:CFNJ聖書学院ホームページ
YFN(ユース・フォー・ザ・ネイションズ)
1996年、各教会の若者達が自発的に互いに呼びかけ、教会間の違いを乗り越え、一致して働いていこうと企画された事から発足した。その後、CFNJ聖書学院の覆いの元で札幌を中心とした北海道の諸教会と協力、一致して、若者主導の力強い青年キャンプを毎年企画している。
■外部リンク:YFNホームページ