第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
Ⅳ. 両親からの抑圧と諸問題
3)父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧
②父親のエリート志向
第二の問題は、父親のエリート志向である。既に何度も述べてきたように“ウルトラ良い子”たちや“心の優しい純度の高い性質を持った子供たち”を極めて抑圧し易い重要事が“世俗的価値観”というものであったが、この「エリート志向」というのは、その世俗的価値観の典型的落とし子であって、他者より優秀であり、出世街道を突き進む卓越した人間となることを志向することを意味している。
これはおのずと純真な子供たちに、自らを他者と比べ常に優位な位置づけに自分を置いておかなければならないことを強要する結果となり、これが彼らの大なる抑圧の原因となるのである。それは「エリート」でなければ、あたかもその人間は“価値なき人間”、“ダメ人間”、“脱落者”でもあるかの如く思わせてしまうのである。それは一種の恐るべき洗脳でもあり、純真な“ウルトラ良い子”たちに誤った人間観、歪んだ人生観、価値観を植え付けてしまうことになるのである。
にもかかわらず、世俗的エリート志向の父親は、我が子可愛さのあまり、ひたすら「エリート」であることを強要するのである。しかも父親の権威を振りかざし、我が子にそうなることを強要する時、子供たちはその心の内に徐々に抑圧を蓄積し、やがて傷つき病んでいくことになるのである。このプロセスでは、かなりの長い時間の経過を要するため、ほとんどの親たちが、まさかそのようになるほどまでに我が子が抑圧を受け、病み且つ傷つき始めていることに気が付かない場合が圧倒的に多いのである。
それ故、しばしばこのような事態に遭遇した父親たちは、我が子の病める症状に直面した時、「何故突然この子は、このようになったのだろう。全くその原因が分からない」とひたすら嘆くのである。しかし、何とそれほどまでに気づかない世俗主義的「エリート志向」の自分自身が原因であったのである。
ちなみにとかく我が子に「エリート志向」を強要しがちな父親には、以下のようなタイプの父親がいる。
1. 自らが「エリート」コースを走って来た父親
ある不登校の子供の父親が、その子に常に口癖のように言い聞かせていた言葉は次のようであった。
「お父さんはそのようにすることによって、今日の地位と身分を勝ち取って来たのだ。だからお前もそうすべきである。お父さんができたことであるから、お前も努力すれば必ずできるはずだ。およそ人間はエリート・コースを走らなければ、決して出世できず、その行く先には祝福された未来はない」と。
これが「エリート志向」の父親たちの典型的人生観であり、第一のタイプである。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。