空梅雨の心配から一転して豪雨となり、今度は水害の心配。私たちは、何か事柄が起こるたびに一喜一憂しますが、困難な場合は、心を閉ざして頭を抱えこみすぎず、イエスを見上げたいと思います。私たちに永遠の命まで約束されたお方ですから、その恵みが断ち切られることはありません。イエスによって強くされます。
今回の箇所では、ピリポがサマリヤの地方に行き、福音を宣べ伝えると大勢の人が集まり、イエスを受け入れ、また癒やしの御業が続々と現されていきました。しかし、そこには喜びばかりがあったわけではありません。この当時、迫害を受けた人々の姿が4節のはじめ「散らされた人々」とあります。もともと教会のお世話係であったピリポは、その散らされた人々とともにサマリヤに訪れたのです。
1.私たちの信仰は偽りではない
イエスの十字架によって、私たちには真実の救いが与えられています。このあとの9~11節では魔術師のシモンが人々に「大能であり、神の力だ。」と呼ばれています。現代においても、いかさまで言葉巧みな嘘の宗教がありますが、この当時も一緒でした。しかし、魔術で人々を騙し続けていたシモンでさえもピリポのイエスの御名による祈りによって変えられたのです。私たちに与えられている魂の救いにしっかりと目を向け、信仰の原点に立ち返りましょう。
2.聖霊の力ある福音を体験
真の信仰だけでなく、福音の裏づけとなる聖霊の力が約束さています。ピリポは指導者として教会の中心で働く使徒ではなく、奉仕者でした。しかし、使徒とか奉仕者とかに関係なく、信じる者には聖霊が与えられるのです。私たちも同じです。信じてバプテスマまで受けていたにもかかわらず、シモンは使徒たちにお金を持ってきて、聖霊を与える権威を下さいと頼んだのです。神の賜物をお金で買うとはとんでもないことです。けれども聖霊は、長い間魔術を行なっていたシモンさえ驚くほどの迫力があったと言えましょう。イエスが命をかけて与えてくださった聖霊は何にも代え難い賜物なのです。
3.真の救いを自分の救いとして歩む
シモンがお金で賜物を買おうとした時、ペテロは厳しい言葉を返します。20~24節「あなたはお金ともに滅びるがよい…不義の中にいることがよく分かっています」と語ります。シモンは非常に恐ろしくなって、ペテロが言ったとおりの事が起こらないように主に祈ってくださいと求めました。
私たちに1番必要なことは何でしょうか。信仰が長いとか短いとかいうことは全く関係ありません。大切なのは、十字架に立ち返り、まっすぐにイエスを見上げて愛することではありませんか。主の贖いに感謝し、この世の偽りや苦しみの中で歩む人々を本物の救いに導く者となりたいと思います。クリスチャンであることを喜びとし、真の信仰をもって聖霊の臨在の中を歩み、日本のリバイバルのために用いられましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。