梅雨の時期、私たちも命の与え主である神からの恵みの雨を頂きましょう。主は生きて働いていらっしゃいます。神の恵みに変わりはありません。その祝福をいただきましょう。
今回のインド伝道の中で主が御業をなして下さり、人々が救われ癒やされ解放されました。目が見えなかった人がその場で癒やされたり、歩けなかった女の子が立ち上がって歩いたり、たくさんの癒やしをイエスが現わして下さったことを心から感謝します。
しかも、その恵みは前もって準備された大集会の中だけでなく、突然に決まった集会においても現わされたことを感謝します。
ところで、イエスの癒やしはインド伝道の中だけで起こる特別なことでしょうか。決してそんなことはありません。私たちにもごく当たり前のように主の癒やし、悪霊からの解放の業は起こされるのです。
1.一つの奇跡は全体のモデル
一つの奇跡は、それに引き続いて起こる、皆に与えられる祝福のモデルです。イエスは行く先々で次々と休む間もなく人々を癒やし、悪霊を追放されました。それがイエスの日々の行動のパターンでした。聖書の時代と同じように、イエスは今も出会う私たちを癒やして下さるのです。インドで起こされた素晴らしい御業は、日本でもここかしこで起こることだと感謝しましょう。
2.イエスにとって癒やし・解放は当たり前
あなたにとって特別だからといって、力みかえって、あなたに対する癒やしが与えられないものであるかのように決めつけてはなりません。イエスにとっては、病人と出会えば癒やし、汚れた霊に取り憑かれ苦しんでいる者がいれば悪霊の支配から解放するのは当たり前で、それは日常茶飯事のように起こることを感謝したいのです。ですから私たちは力んだり、特別な信仰を用意したり、臆する必要もありません。私たちは心から癒やしを願い、素直に私たちを癒やして下さるイエスに近づきましょう。
3.イエスは福音を伝えるために来られた
人々を救い、癒やし、悪霊から解放することがイエスの目的でした。イエスご自身がその目的を御存知です。「そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから」と語られて、イエスはガリラヤ全土を行き巡り、人々に福音を語り、救いを与え、病める人々を癒やされたのです。
あなたの信じているイエスは、昨日も今日もいつまでも変わりません。その目的もお忘れにはなりません。このイエスに信頼して祈ろうではありませんか。祈る時、インドにおいて素晴らしい奇跡が起こるのなら、同じ信仰を持って歩む私たちも癒やされて当然ではありませんか。そもそもイエスにとって癒やしは日常的なこと。イエスの毎日は癒やしの業と悪霊に対する勝利につぐ勝利の日々でした。このイエスの当たり前の姿に今日も触れようではありませんか。
イエスがこの世に来られたのは、人々を救い、癒やし、解放するためです。それは何も難しくはない、イエスにとって当たり前のことです。このイエスに今日も祈りましょう。主の恵みに飛び込んでゆきたいと思います。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。