ことばに権威
ルカの福音書4章31節~37節
[1]序
今回は、ルカの福音書4章31~37節の箇所を味わいます。この箇所全体として、第一に心に刻みたいことは、主イエスの教え(31、32節)と行為(奇跡を含めて、33~37節)を切り離し得ない事実です。主イエスの教えは行為を通して現実に現されています。また行為は教えを通してその意味を明らかにされています。
[2]宣教の広がり
(1)ガリラヤの町カペナウムでの宣教
31、32節には、カペナウムでの宣教活動を要約しています。この地における宣教活動の記述は、前後の他の地域における宣教活動についての記述と重なり、主イエスの宣教の広がりを明らかにしています。
①ナザレにおける宣教(16~30節、特に16節)
②ガリラヤの町カペナウムにおける宣教(31節)
③カペナウムの回りの地方至る所へのニュースの広がり(37節)
④ユダヤの諸会堂での宣教(44節)
(2)「ことばに権威」
主イエスの宣教活動の特徴を一言で言えば、「人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである」(32節)とまとめられているように、主イエスのことばに権威がある事実です。
マルコの福音書1章22節、「人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」参照。
[3]汚れた悪霊につかれた人のいやし
(1)汚れた悪霊につかれた人の状態、抵抗
①「大声でわめいた」、マルコの福音書5章2節以下(他の人々との交わりが断たれ、自分自身を傷付ける)参照。
②34節のことば。主イエスを認める、自分がどうなるかを恐れ抵抗。
(2)主イエスの命令
①「黙れ」、悪霊の発言や意図を禁じる。
②「その人から出て行け」、悪霊の圧政から人々を解放、神の統治を明らかにする。
(3)結果、いやし
男を地面に投げ倒して乱暴に悪霊が出ていく。しかし、「その人は別に何の害も受けなかった」(35節)。18節に見る、イザヤ書61章1節、「捕われ人には赦免」とのことばが現実となっています。主イエス・キリストの解き放ち・いやしの力を見ます。
[4]結び
(1)主イエスのことばは聖霊ご自身に導かれ権威に満ちています。ことばと行為を通して、ご自身の権威を示されています。
主イエス・キリストを伝える弟子たちの宣教についても、「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」(Ⅰテサロニケ1章5節)と明確です。
(2)人々は、主イエスのことばと行為に驚きました。しかし、彼らはただそこにとどまり続けてはならず、絶えず前進する必要があります。たとえば、「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました」(Ⅰテサロニケ1章6節)と伝えられている、テサロニケの教会の人々のように。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。