ナザレのイエス
ルカの福音書4章14節~30節
[1]序
今回もルカの福音書を読み進めていきます。4章14、15節には、主イエスのガリラヤ地方における活動を要約しています。
第一に、それは「御霊の力を帯び」たものであること、また「その評判が回り一帯にくまなく広まった」と伝えています。この箇所は、主イエスのパプテスマや荒野の誘惑の記事とのかかわりで、いよいよ実際の宣教活動について語っていることから今までの箇所のまとめです。
同時に、これから次々と展開される宣教活動を見てあらかじめ要約(直接には、次の要約である4章44節までの間に記録した事々を要約)している、いわばこれまでの箇所とこれからの部分の橋渡しの役割を果たしています。
[2]ナザレの会堂で
(1)16節以下では、特に主イエスの故郷ナザレでの一場面に焦点を絞っています。
「会堂」(16節)。神殿が破壊された後、ユダヤ人の生活の中心となっている様子は、使徒の働きの中(13章15節以下など)でも描かれています。
安息日には、聖書の朗読と講解、公の祈りがなされ礼拝が持たれました。聖書朗読では、律法から選ばれた箇所が輪読された後、続いて歴史書や預言書が読みあげられたと言われます。
(2)イザヤ61章1、2節。主イエスははっきり自覚してこの節を選ばれ、ご自身の宣教活動を旧約聖書の預言の成就として示しておられます。
①「わたしの上に主の御霊がおられる」(18節)。主イエスの宣教活動のすべては、聖霊ご自身の導きによる事実を明示しています。
②主イエスの宣教活動の目的、また対象とする人々。福音は、人々を罪と死との束縛から解放する喜びのおとずれであり、「貧しい人々」、つまり「捕らわれた人、盲人、しいたげられた人々」に向けて伝えられます。福音に接した人々は、高慢や無知により拒絶してはならないのです。
[3]「きょう、聖書のことばが」
(1)「きょう」(21節)、待ち望まれていた時が到来したと主イエスは宣言なさいます。ご自身がメシアであると宣言し、神の祝福に満ちた統治が主イエスの存在と全く一つであり切り離せないと明らかになさいます。
(2)ナザレの人々の応答は、一面では「その口から出て来る恵みのことばに驚」くものであると同時に、他方「この人は、ヨセフの子ではないか」というものです。
(3)25~27節。エリヤ(Ⅰ列王記17章1節以下)の記事から、サレプタにいたやもめの女、エリシャの記事(Ⅱ列王記5章1節以下)から、シリヤ人ナアマンの実例を取り上げて、神の救いの恵みが異邦人に開かれている事実を主イエスは指摘しています。
ナザレの人々は、主イエスがご自身のわざを預言者のわざと同列に置くとして激しい怒りを表します。
[4]結び
(1)主イエスの自己意識と宣言
主イエスはご自身についてはっりとした意識を持ち、その中心点を率直にナザレの人々に宣言しておられます。
(2)福音は誰に向けて
(3)神の恵みの中における、「きょう」
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。