荒野の誘惑
ルカの福音書4章1節~13節
[1]序
ルカ4章1節以下の荒野の誘惑の記事を、二つの点に注意し味わいます。
第一は、1、2節が大切な鍵である点です。「聖霊に満ちたイエスは」(1節)と言われているのは、3章21、22節に見るバプテスマの記述を参照する必要があります。また「御霊に導かれて荒野におり」(1節)とは、主イエスが父なる神の御心に従いすべてのことをなしている様を示しています。3章22節の、「わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」とのことばをここで特に思い起こすべきです。
第二は、荒野の誘惑の記事を聖書全体の流れの中で受け止める必要です。
[2]聖書全体の流れの中で
(1)前回、私たちは3章38節を特に注意しました。ルカが伝える主イエスの系図では、主イエスが新しいアダム、第二のアダムとして示されていると見ました。ですから荒野の誘惑の記事を、アダムが経験した試み(創世記3章1節以下)とのかかわりで理解する必要があります。
(2)イスラエルの荒野での試みとの関係。イスラエルの民がその歴史のはじめにおいて荒野で受けた試みとのかかわりで、本来イスラエルがなすべきことを主イエスがなされたと見るべきです。
①パンをめぐって(出エジプト記16章)
②主なる神のみを礼拝することをめぐって(出エジプト記32章)
③メリバでの試み(出エジプト記17章1~7節)
(3)主イエスに従いこの世にあって戦う、主イエスの弟子・教会の勝利の礎また模範として。エペソ6章10節参照。
[3]荒野の誘惑
(1)第一の誘惑。40日の断食後の飢えの中で。主イエスの答え、申命記8章3節に基づいて。すべての生命が神のことばにより存在させられ(創世記1章3節以下)、また保持されている恵みの事実。主イエスの父なる神への信頼と服従。ルカ11章3節、主の祈りの日ごとのパンを求める祈りとの関係。
(2)第二の誘惑。神の御子の権威に対抗して悪魔がわがものとして礼拝を要求。主イエスの答え、申命記6章13、14節に基づいて。ルカ11章2節、主の祈りの神の御国を求める祈りとの関係。
(3)第三の誘惑。舞台はエルサレム。主なる神への信頼と軽率な行動との違い。エルサレムこそ主イエスの受難と勝利の復活の場所。主イエスの答え、申命記6章16節に基づいて。
[4]結び
(1)主イエスは、本来アダムがまた本来イスラエルがなすべき役割をなしてくださり、荒野の誘惑に打ち勝ち、受難と復活を通して悪魔に勝利なさったお方。
(2)主イエスの勝利は、神のみことばに堅く立つことを通して。神のみとばの誤用や乱用を否定して。
(3)主の祈りに示されているように、私たちも祈りつつ主イエスの勝利に与るように招かれています。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。