洗礼者ヨハネの宣教
ルカの福音書3章15節~20節
[1]序
今回も前回に引き続き、洗礼者ヨハネの宣教についての記事を味わいたいのです。3章15節から20節の箇所を中心にヨハネの宣教の内容を二つの点に絞り見て行きましょう。
[2]「私などは・・・値うちもありません」
(1)まず15節では、当時の「民衆」が、救い主を待ち望んでいた事実を示すとともに、彼らがヨハネに対して救い主ではないかと誤解してしまう可能性があったことを指摘しています。
(2)この誤解に対して、洗礼者ヨハネは主イエスを指し示して、「しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません」と、主イエスと自分との差異を明らかにしています。この宣言は、1章、2章の誕生の記事で預言されていることに通じます。そこでは主イエスと洗礼者ヨハネが比較され、洗礼者ヨハネは主イエスに従属することを教えています。
(3)ヨハネは自分の立場を「指」としてはっきり自覚し、人々が自分の指さすお方に目を向けることを願い続けたのです。ヨハネの福音書3章22節から30節の記事はこの事実を明らかにしています。
[3]「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」
(1)洗礼者ヨハネが主イエスとの差異を示すにあたり、特に取り上げているのは、バプテスマをめぐっての差異です。ヨハネは自分自身について、「水であなたがたにバプテスマを授けています」と述べていますが、主イエスについては、「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」と、その違いを強調しています。
(2)「聖霊と火のバプテスマ」とは、ヨエル2章28~32節に預言され、使徒の働き2章にその成就を見るものです。主イエスは十字架と復活により罪と死に勝利し、注がれた聖霊ご自身により新たな恵みの生活へと導いてくださるのです。ロマ6章3節以下をはじめ新約聖書全体があかししている恵みです。水のバプテスマは、この恵みの事実のしるしです。主イエスご自身の御業とそれを指し示すしるしとを混同してはならないことを教えられます。
(3)17節、ヨハネは神のさばきを指し示しています。黙示録1章7節以下、14章14節以下参照。同時に18節に見るように、ヨハネの宣教活動全体を指摘しています。
[4]結び
(1)主イエス・キリストのみすべての栄光を受けるべき唯一のお方。ピリピ2章10、11節。黙示録5章12~14節参照。
(2)ヨハネの役割。ヨハネは16節に見るように宣教の使命を果たし続けます。その際、ヘロデのような指導者に対しても、そのため困難に直面しようとも責任を果たして行きます。では私たちの役割は。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。