また聖書事業功労者表彰式も行われ、クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス(KBH)が表彰され、副理事長の山内一郎氏に表彰状が授与された。KHBは阪神淡路大震災後の2003年、神戸聖書展の成功を機に再建された。キリスト教超教派で構成されており、西日本におけるエキュメニカルな聖書普及の拠点として、聖書の常設展示のほか、講演会、セミナーなど様々な宣教事業を積極的に展開している。
大宮氏は、東日本大震災から2年が経とうとしている現在において、「世界的な不況、戦争も重なって、様々な困難を抱え、どのように明日を切り開いていこうかとしている。こういう中で迎えた今年のクリスマスに、神様は私達に何を告げられているのだろうか」と問いかけた。
クリスマスについてルカによる福音書第一章26~50節を引用し、「我々と同じ人間の仲間として神が来られ、いのちと光、愛をもって我々を燃やしてくださっている。主の母マリアへの受胎告知では、天使ガブリエルが『おめでとうマリア。主があなたとともにおられる。神の子を産む。生まれ出る子がダビデの王座につく』と約束された。イエス・キリストは預言者、祭司、そして王としてこの地に来られた」と説いた。
大宮氏はそれぞれの役割について、「第一に預言者として、神の御心をそのままに人間に伝えてくださった。第二に祭司として罪に汚れた滅ぶべき人間を救ってくださり、第三に王として人間を神に導く導き手となられた」と説明した。
天使ガブリエルの告知を受けイエスを受胎した母マリアについて大宮氏は「我々一人一人の代表としてイエスを受け入れた。マリア論は教会論であると説明する本がプロテスタント神学に存在する。教会はキリストのからだである。キリストを宿し、キリストをこの世に送り出す働きが与えられている。御母マリアは人間が神の子を宿したのであり、我々一人一人にも聖霊によってキリストが宿ってくださる。証と奉仕を通してキリストがこの世に出て行かれる」と説いた。
大宮氏は「『イエス・キリストがあなたがたの内におられる(Ⅱコリント13・5)。キリストが貧しくなったのは、キリストによって我々が富むようになるためである(Ⅱコリント8・9)』クリスマスはそのことを告げている」と説いた。
またバプテスマヨハネの母エリサベトについて旧約の民イスラエルのシンボルである一方、イエスの母マリアを新約の民、キリストの民、教会のシンボルであるとし、クリスマスを迎えるクリスチャン一人一人に対し、「今日私たちは天の使いが私たちに告げられており、聖霊があなたに宿り、意図高き方の力があなたを包むので、このキリストをあらためて自分の内に迎え、人々のところへ運んでいくように命じておられる」と伝え、(天使ガブリエルに応答した)マリアの賛歌「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」を自分の歌として歌うべきであると勧めた。
マリアの讃歌について大宮氏は、「自分の魂いっぱいに神様があふれるのを感じた。心が大きくなれば、愛も満ちる。神様が私を愛してくださり、私に対し怒り裁くのではなく、救い主として我がうちに来てくださるということを知ったとき、私の心は喜びに満たされた。その喜びを経験する私達でありたい」と説いた。
マリアが「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった(ルカ1・48)」と述べたことについて、「永遠に生きる方と、つかの間の人生を過ごす人間との差だけではなく、汚れなき聖なる姿と、罪にまみれ、汚れ果てた人間の落差をも、ものともせず、神様が私の内に来てくださった。これはマリアにだけのことではない。マリアを通して人間一人一人の内に宿ってくださったのである」と説いた。
大宮氏は人の子をこの地に遣わした神の愛について「ホーリーラブ、聖なる愛であり、人間の愛をはるかに超えた、高く深い愛である」とし、旧約の預言者ホセアが他の男に心変わりして家を出て行った妻を再度迎え入れた愛について説いた。
ホセア書では異教の神殿の娼婦であるゴメルと結婚したホセアが、妻ゴメルに裏切られ、他の男の下に走っていき、ついには女奴隷となってしまった後に、神の命令を受け、ホセアが妻ゴメルを買い戻した内容が書かれている。
大宮氏は「他の男に心変わりして家を出て行った妻に対し、ホセアの心はずたずたに引き裂かれ、嫉妬に荒れくるうようになった。その後ゴメルが女奴隷として身売りされた時、ホセアの青白い嫉妬の心が真っ赤な愛の心に変わった。一人の女奴隷を買い戻すために大金と所有物を投げ出して、ゴメルを自分の家に連れ帰った」と説いた。
その上で神の愛の深さについて「人間の愛は敗れると、愛の赤い炎が嫉妬の青い炎に変わる。しかし神の愛は青い炎を真っ赤な愛の炎に変えてくださる。神は御心にそむく人間に対して、打ちたたかれるが、真実なものを愛し抜いて、真実から真実へ連れ戻さないわけにはいかないという愛を示されるお方である」と説いた。
東日本大震災で家族や友人を失った人々の中で、クリスチャンの人の中でも神が信じられなくなったという人が生じていることについて「過酷な現実の中で家族を失った人々の痛みがある。過酷な現実の中で神はどこに居られるのかと考えたときに、インマヌエル、共におられるお方であり、神は遠いところから嵐のように攻めてこられるお方ではないことを感じる」と述べた。
東日本大震災を通して大宮氏は「人間の限界を痛感されると同時に、日本社会全体と共に生きる、という思いがあふれ出てくるのを感じた。それと同時に共に生きようと励まされる、その私たちの中に、神もまた共生の神として、共にいてくださることを教えられた。弱さと共に、いかにして共に生きるかというのは大きな課題である」と述べた。
大宮氏はクリスマスを前に、「主があなたと共におられる。祝福の挨拶を送ってくださる。イエス・キリストが改めて我々の内に宿ってくださる。いのちと光の炎を灯してこの世に出てこられる。『(私達は)主のはしため、僕です。御言葉どおり事が成りますように』とお答えして新年への出発を共に進めたい」と伝え、イエス・キリストを喜びをもって迎え、新年を迎えるにあたって主によって新たにさせられ、愛に燃やされて社会の中に歩み出すことができる導きが与えられるように祈りを捧げた。