そんなある日、激しい開拓の野良仕事を終え、郵便局の夜勤に向かう途中だった。山道を自転車で上り切り、ホッと一息ついた時、異常なまでの静寂と、あかね色に染まる夕空に、聖書のことばがフッと思い浮かんだ。
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。(マタイ24:27)
と同時に、何といなずまが東の空から西にひらめきはじめた。瞬間、「再臨だ」と思った。イエス・キリストが雲に乗って来られるんだ。このごろは教会の礼拝にも行っていない。聖書も読んでいない。祈りもしていない。ひとりは上げられ、ひとりは残される…。
道の真ん中に自転車を止め、両手を夕焼け空に向かって差しのべた。いなずまはひらめき続けるが、いつまでも身体は上に昇っていかない。冷や汗が流れた。再臨の主に会えなかった。残されたのだ。必死で自転車を走らせ、西之表キリスト教会の電話を回した。電話口に出た池田牧師に、何かわけの分からないことを口走った。強烈な体験だった。
再臨に残されたくないとの恐怖心で、関西聖書協会の大型聖書の広告を見てさっそく購入し、真剣に読み、祈った。教会まではバスで一時間だが、お金を節約するため約二十キロの道のりを四時間以上かけて歩き、礼拝にも時々出席した。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。