パウロはローマ人への手紙で、イエスの十字架の死とよみがえりによって私たちに与えられた救いとはどういうものなのか、語っています。そして、今日の聖書箇所でパウロは、私たちが信仰を働かせる時の目の付け所を、「“ひとりの人”イエス・キリストによって」と語っています。
1.“ひとりの人”に焦点を合わせる
神が天地を創造された時、最初の人アダムが命を与えられました。彼は、妻のエバと一緒に、神が食べてはいけないと禁じられた木の実を食べてしまいます。そして、“ひとりの人”アダムが神に逆らった罪によって、全人類に罪が入ってしまうのです。それは単に、アダムが罪を犯したから私たちにも遺伝で罪が入ったという安易なことではありません。仮に私たちがそこにいても、きっと神に従うことができず、罪を犯してしまったはずだからです。
しかし、私たちが本当に目を向けるべきもう一方の“ひとりの人”がいます。“ひとりの人”イエス・キリストによって、神の愛の賜物が全人類に与えられるようになったのです。このイエスが、私たちの心の罪の問題に対して、不幸の原因である私たちの足りなさを責めるのではなく、幸せになるための救いを与えてくれました。イエスから、祝福、力、命、平安、喜び、感謝、癒やしが与えられます。
2.“ひとりの人”から恵みを受け取る
“ひとりの人” 問題児アダムの違反に対する罰として、全人類は罪と向き合わなければならなくなり、死や不幸と縁を切ることができなくなりました。
しかし、聖書ははっきりと語ります。“ひとりの人”イエス・キリストによって、神からの贈り物である永遠の命の祝福と、私たちが神の前に義であるという立場が与えられるのです。そして、神とともに歩む人生をいただけるのです。
忘れないで欲しいのは、アダムによって私たち全人類に与えられた罪と罰の世界よりも、イエスを通して与えられる恵みの賜物の世界の方が、はるかに力強く、私たちの人生を輝かすということです。この恵みをしっかりといただきたいのです。
3.多くの人々に及ぶ祝福
聖書が語る恵みは、こっそり自分ひとりの閉じこもった世界だけで楽しむものではありません。あなたが救われることによって、皆に救いが及ぶのです。救われて変えられて、「こんな素晴らしい人生がある」とイエスの恵みに満たされ喜んでいる人がいれば、その恵みは同じように多くの人にも及ぶのです。これが神の祝福の性質です。
人は変われるでしょうか。世の中には色んな答えがあるでしょう。でも聖書には、はっきりとした答えがあります。人は、“ひとりの人”イエス・キリストによって生まれ変わることができる。アダムの子孫として罪の中に生きる生き方から救われて、死や呪いではなく神の祝福をいただいて、神の子どもとして生きることができるのです。ひとりぼっちの暗い世界に閉じこもっていた私たちが、多くの兄弟姉妹と喜び合い、励まし合い、支え合って前進することができます。“ひとりの人”によって、救いの恵みをいただきましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。