今日の箇所は、癒やしをテーマとしています。信仰をもってイエスに祈るならば、医者や薬や自分の力とは違う、命の与え主である神から明確な癒やしが与えられるというのです。
一言で言えば、癒やしは私たちのものです。主イエスに仕える私たちに与えられている恵みなのです。三つのことを学んで、癒やしを自分のものとしましょう。
1.癒やしは、教会の働きの中で必ず起こる
私たちは、クリスチャンとして歩んでいれば、今日も神が祈りに答えて下さった、兄弟姉妹と素晴らしい時を過ごすことができたと、喜ばしいことが日常生活のあらゆる場面で起こります。
一方、クリスチャンでも苦しむこともあります。乗り越えられないような試練に遭ったり、家族のことや人間関係で悩むことも、よくあることです。
「あなたがたのうちに病気の人がいますか」と、聖書は語ります。どんなに元気な人でも疲れることもあれば、いつ体調を崩さないとも限りません。夏の終わりで夏バテしている人もいるでしょう。病むことも普通のことです。
苦しんでいる人は、くよくよ悩み続けるのではなく、「祈りなさい」、喜び楽しんでいる人は、「思いきり、神をほめたたえなさい」と聖書は語ります。祈り、賛美することは、ごく自然なことではありませんか。同様に、病の癒やしのために、「祈りなさい」とあります。いつものように祈りなさい、ということです。
癒やしは特殊なものではなく、イエスが教会に聖霊の命を与えられた時から、教会の中に常に存在する神からの恵みです。主イエスを信じている教会には、癒やしの祝福は当たり前のように存在します。
2.癒やしは、互いに祈り合う時に起こる
教会は、独りでぽつんと座っている場所ではありません。キリストの御体なる教会に招き入れられた時、私たちはキリストの御体のかけがえのない一部分を担うことになります。そして、結び合わされ、一つとなっていくのです。互いに励まし、助け合うのが当然のことです。
今、世の中の世相は、皆がバラバラになる方向に傾いています。会社や学校の中でも、意思表示がなかなかできず、友人同士の関係も希薄で、家族もバラバラ。人が横にいると、うっとうしい。人と接すると、あんなことを言われて、私は傷付いたと、人と上手く関われません。
でも、聖書が教えているのは、私たち一人一人が好き勝手な人生を生きればいいというのではなく、一つに結ばれ合うことです。イエスは仰いました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。だから、私たちは交わりを大切にし、喜び合います。そして、忘れてはならないのは、互いに祈り合うことです。
病む人を回復させるのは、牧師の祈りだけではありません。私たちが主の御前にとりなして祈る時、その祈りが信仰による祈りとなり、病む人を回復させます。それは、主が今も癒やして下さるからに他なりません。
3.癒やしは、あなたを通して起こされる
エリヤが祈ると、三年半の間、雨さえ降らず、再び祈ると、いきなり大雨になりました。エリヤが祈ると、天から火が降って来て、備えられたいけにえを焼き尽くし、死人さえ生き返ったのです。旧約聖書の最強の預言者エリヤを、ヤコブは、私たちと同じような人であったと記しています。逆に言えば、私たちもエリヤと同じような人であり、私たちの祈りも、主に受け止められるのです。ありのままの弱さを抱えた私たちが祈る時、人が奇跡と呼ぶような、神の御力が私たちの信仰を通して働くのです。
私が自分で癒やしを祈り、祈りが答えられた明確な経験をしたのは、小6の時です。夕拝に出ていて、座っていられないほど気分が悪くなり、腕に蕁麻疹(じんましん)が出ているのに気付きました。その時、神は私の心に、「癒やしを祈ってみてはどうか」と語りかけて下さり、集会中、ひたすら祈りました。そして、感謝なことに、集会が終わった時には癒やされて、蕁麻疹も消えていました。
癒やしは誰もができることで、特別な資格は要りません。あなたが誰かのために祈ってあげることです。信仰者が祈る祈りは、働くと力があり、病める人は癒やされていきます。この恵みをいただきましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。