【ワシントンD.C.(米クリスチャンポスト)】北朝鮮拉致被害者が自分たちが母国で受けた苦痛、飢餓、抑圧について22日米ホワイトハウス前で訴え、米国政府に対し、北朝鮮という独裁国家に未だ拘束されたままでいる抑留者らを解放するのを支援するように要求した。
北朝鮮解放週間で多く計画されているイベントの中の一つとして、4人の元北朝鮮拉致被害者による証言が行われ、その中で北朝鮮に抑留されていると思われる250名の名前が読み上げられ、解放週間開始のためのミニコンサートが開かれる予定であるという。
言いようもない艱難と絶望の声がこの6年で北朝鮮から逃亡できた4人の亡命者から聞かれた。
リー・ジェゲン氏は、「私は1970年に拉致され北朝鮮に自分の意に反して滞在せざるを得なくなりました。2000年に韓国に帰国するまで、私は筆舌に尽くしがたい苦悶の中に暮らしていました。このような艱難を耐え抜き生き残ることができたのは、本当に驚くべきことです。私の北朝鮮滞在中の暮らしは地獄のようなものでした」と述べた。
リー氏は、実体験を語り、拉致された人々は炭鉱での強制労働を強いられ、十分な食料も与えられないことなどを明かしし、「水も、燃料も、食料もなく、奪略が止む兆しは全く見えません。塩を持っている家庭はよい生活が出来ていると見なされています。春には人々は蛙や蛇、ネズミを食べて飢えを凌いでいます。一度強制収容所に入れられれば、このような生活は北朝鮮では日常事です」と述べた。
韓国政府によると、南北朝鮮戦争の際は、8万2959人の韓国人民らが北朝鮮へと拉致されたという。1950年以来北朝鮮拉致被害者解放支援団体拉致被害者救済センターからはまったく拉致被害者救済に関する報告はなされなかった。南北朝鮮戦争以後、さらに486名の人々が拉致され、その大部分は漁師であったという。
漁船に乗船していた際に13人の乗組員と共に拉致され平壌に連れてこられたジン・ジャン・パル氏は、炭鉱生産工場へ連れて行かれる前に7ヶ月間社会主義思想を教え込まれたという。
ジン氏は、「私は35年間炭鉱生産工場で働き、負傷を負ったり、韓国にいる家族のことを思って悲しみに暮れていました。時々、穀物が尽きて私たちは野山で食べられそうな草を食べるしかない状況へと陥ることもありました。今、私はしばしば過去の北朝鮮に抑留されていた日々を思い起こし、どうしてこのような想像しがたい日々を生き残ることが出来たのか、本当に不思議に思えます」と述べたという。
北朝鮮自由同盟議長で今回のワシントンD.C.における北朝鮮解放週間の主催者の1人、スザンヌ・スコルテ氏は拉致被害者の声や北朝鮮の家族の声がホワイトハウス前を通して世界に聞かれることに期待を寄せている。
スコルテ氏は、「私たちは金正日政権にどんな支援を与える前にもまず考えなければ生けないのは人権問題です。金正日政権はすべての戦争捕虜を解放するべきです。日本人拉致被害者、韓国人拉致被害者、そしてその他多くの国からの拉致被害者が解放されてから、北朝鮮支援問題について交渉を始めるべきです。ですから私はブッシュ政権が今回のイベントを通してよりこのことに対して強行な手段を取る事が出来るようになることを期待しています。私はこのイベントを通してブッシュ大統領の心を突き刺すと信じています。問題は人々が事なかれ主義に傾きやすいことです。そのような人々の精神と格闘するのですから、この戦いは容易ではありません」と述べた。
またスコルテ議長はなぜ彼女は米国政権による圧力が北朝鮮にとって「太陽政策」よりも効果的かについて、「私たちが恐れているのはブッシュ政権が金正日がビルクリントンに仕掛けたわなと同じわなに捕らわれるのではないかということです。私はクリントン政権では金正日と誠意を持って交渉しようとしたと思います。しかし、北朝鮮は米国の誠意を支援を絞り取るために利用したに過ぎなかったのです。金正日は韓国人らが太陽政策は結果的に改革へとつながると信じているがために、韓国人に対しても同様のことを行っています。しかしもし太陽政策で達成されたそれぞれの具体的な事例を検証してみると、太陽政策は北朝鮮人民の人権のために何の進展も施していない完全な失策であったことがわかるでしょう」と述べた。
リー氏は、近所の家族と北朝鮮で自殺した男性の葬儀を執り行った北朝鮮拉致被害者のうちの生存者で、「私はここにいるあなた方すべてが北朝鮮人民と拉致被害者に純粋な懸念を抱いていることはわかっています。私は私の証を聞いてくださったすべての方々に感謝します。私はもうひとたびあなたがたに拉致被害者らがいつの日が人間らしい生活が送れるための祈りを捧げてくださるようにお頼みいたします」と要求し、証しを述べ終えた。