申鉉錫(シン・ヒョンソク)牧師 |
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桜美林大学(obirin Univ.)の元人気講師、申鉉錫(シン・ヒョンソク)牧師のコラム第8回目です。 このコラムは、韓国オーマイニュース(http://ohmynews.com/)に掲載され、当時大きな反響を呼びました。在日韓国人牧師という立場から、同師が日本宣教への夢を語ります。
◆はじめに
日本における福音宣教を妨げる沼地を「豊作の地」に変えようと試みるキリスト者は、私どもの予想を超えて多くおられる。只その働きがキリスト教自体の力の弱さと、キリスト者の関心の希薄さのゆえに、世間にあまり知られていないのが現状である。ここで私どもは日本の福音宣教のために「沼地」を「豊作の地」に変えようとして、死力を尽くして戦ってこられた日本のキリスト者と連帯して福音を宣べ伝えなければならないと思うものである。
◆1.「沼地」への挑戦
1「日曜日訴訟」
澤正彦牧師(故人)は、1980年3月に日本基督教団小岩教会の牧師として在職しておられた。当時澤牧師と奥さん(澤ヨン:現在牧師)との間には2人のお嬢さんがいて、共に江戸川区立小学校に在学していた。長女の澤知恵さんは6年生であり、澤正恵さんは4年生であった。2人共毎週日曜日には小岩教会の日曜学校(教会学校ともいう)に通っていた。ところが毎週守っている日曜学校での礼拝を守れないことが起こった。それは小岩小学校での日曜日授業参観に出席するためには教会を休まなければならなかったことである。2人だけでなく教会員の子女たちも同じく教会を休まなければならないことになった。
周知のように、キリスト教では日曜日を聖日と定めており、聖日礼拝は命を賭けて守るべき礼拝であったので、澤牧師は赴任草創からこの問題で深く悩んだ。
澤牧師は1980年6月8日の日曜日にこの問題を取り上げた。その1週間後の6月15日の参観日には、小岩教会の教会学校生徒はいつものように、9時から10時まで礼拝を捧げてから学校に行った。そこで「遅刻して登校する旨」を父兄ならびに学校にも伝えた。
しかし20名近い小岩小学校の子どもたちの中で、牧師の「この唐突な申し出」に従った者は3名に過ぎなかったという。
この初めの経験以来、彼は未信者の子どもたちが多いことを考えて、教会学校は日曜日の学校行事がある毎に、学校行事に差しつかえないように朝8時から20分まで、礼拝を繰りあげ、子どもたちの礼拝の時間を確保しようと努力してきたのであった。
このことを澤牧師は、「教会の知恵であり、賢明な妥協であろう」と言った。以上のような措置で教会学校の礼拝を守り続けようと考えたところに、牧師の信仰と教会の在り方が問われたのではないか。
澤牧師は、教会学校での礼拝と宗教教育の時間が根こそぎ奪われてしまうことを学校側に訴え、学校側の配慮を願い出て、「日曜日行事は任意にすべきであって、出欠をとるべきではない」と主張し続けた。しかし学校側は、澤牧師の切なる訴えを聞こうともせず、欠席をつけて譲らなかった。
澤牧師の二年有余の説教と懇願にも耳を傾けてくれない学校側に対して、最後の訴えとして取るべき道は一つしかなかったのである。ついに「日曜日訴訟」を起こすことを決意したのである。訴訟の相手は小岩小学校校長、江戸川区長、東京都知事であり、この訴訟は澤牧師と子どもたちの戦いであり、ひいては教会の戦いであった。
2訴訟の進展
筆者は、澤牧師とは東京神学大学の同級生で、年令は澤牧師より上であったが、学年は下であった。彼は韓国に使命を感じていたので、韓国人である筆者とは親しく付き合っていた。
澤牧師が「日曜学校訴訟」を起こすことを初めて知ったのは1982年10月14日であった。当時筆者は在日大韓基督教会下関教会の牧師であったが、東京での集会を終えた後、小岩教会に澤牧師を訪ねた。牧師同士の話を終えて帰るために立ち上がった。その時澤牧師は筆者を呼び止めて、「申さん、ちょっと待って下さい」と言って、部屋の奥から一束の書類のようなものを抱えて出てこられた。「申さん、これなにか知っている?」。私は「さあ、なんだろう」と言った。すると澤牧師は、「これはね、裁判を起こすための書類なんだ」と言った。私は「何の裁判?」と聞き返した。「日曜日訴訟(裁判)のための書類で明日の裁判に持っていくんだ」と澤牧師は言いながら、「日曜日授業欠席処分取消訴訟」について事細かく説明してくれた。
その説明の一部始終を聞いた筆者は、言いようのない感慨と悦びが全身を包んだ。「やあ、それはすごい!是非勝ってくれ」と言って、即座に1万円札を取り出して、いの一番にカンパした。
それから筆者は下関に戻り、1983年7月、留学のために米国に行くまでその戦いに関わったのである。米国留学中は直接には関わることはできなかったが、裁判は多くの支援者によって支えられ、勝利まちがいないと信じて来たのであったが、ついに負けてしまったのである。残念でどうしようもない敗北感が筆者を襲った。(その理由は次回に掲載する)
◆2.日本の教会の伝道を語る教師
神学者であり、元東京神学大学教授、鎌倉雪ノ下教会の牧師であった加藤常昭先生は筆者の東神大時代の恩師でもあられるが、今でも先生の著書をよく読んでいる。先生は日本基督教団美竹教会創立70周年記念講演会で話された「これからの日本の教会の伝道」の中で日曜学校の問題に触れている。日本の教会が伝道不振の故に悩んでいる中で、「教会の伝道よりももっと惨憺たるありさまを示しているのは日曜学校、教会学校であります。『先生、私のところの教会学校出席者は、年平均1名、教師3名です。もうずっとその状態が続いている。』『ずっとその状態が続いていると言うけれども、そのままにしておいているのですか。』『どうしていいのか分からないのです。』『3月には、説教塾の集まりで教会学校の問題を取り上げる。そこでもう一回、一緒に考えよう。』そう言って別れました。」という記事である。
◆おわりに
聖書ヨハネ福音書4章38節には「あなたがたが自分では苦労しなかったものを刈り入れるために、私はあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている」と書いてある。
日本の教会が伝道不振のゆえに悩んでいるように、日本に在る在日韓国人教会においても同様に悩んでいるのである。問題の解決はいろいろあろうが、その中で最も重要なのは日曜学校運営の問題ではないだろうか。日本の国では、現状のままでは子どもたちをキリスト者として育て上げることは不可能であるようにさえ思われる。打開策はなんであろうか。上で述べてきた澤正彦牧師のように権力と戦い、宣教の使命を果たす指導者が現れなければならないと思う。その時、私共もその戦列に喜んで加わるであろう。