「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイ5:48)」
1. キリスト者の完全
1739年から1777年まで、ウェスレー(Wesley)は「ジョン・ウェスレー牧師によって信じられ教えられたキリスト教の完全に関する明瞭な報告書」(A Plain Account of Christian Perfection as Believed and Taught by the Reverend Mr. John Wesley)という著述を連続的に発行した。この本の内容は、以降二世紀にわたってメソジスト(Methodists)から分派していった数多くのホーリネス派の宣言文のような役割を担った。
しかし、ウェスレーは「罪の無い完全」(sinless perfection)を教えてはいなかった。彼が教えた完全の教理は、動機と欲望における完全であった。罪の無い完全は死後に得られるものであり、聖化された魂は絶えず敬虔の訓練と世俗的な欲望からの切り離しを通して持続的に罪から勝利する人生を歩めると述べた。
2. セカンド・ブレッシング(The second blessing)
ウェスレーは信者が経験する救援の過程を二段階に分けてみた。先ずは、改心または新生であり、次にクリスチャンの完全または聖潔である。最初の体験では信者は彼の自犯罪を赦される。しかしアダムの堕落以降の遺伝されている罪は残されていて、これは二次的な祝福(セカンド・ブレッシング)である聖潔の恵みによって除去されるということである。
1870年から1885年に至るまで、聖潔の教理は南部のメソジスト教会の中で急速に拡散していった。ホーリネス派のジョージア・ホーリネス・アソシエーション(Georgia Holiness Association)が設立され、その地域の多くの牧会者らが聖潔の体験を二次的な祝福として告白した。
1890年と1900年にかけて、ホーリネス派は彼らの根本的な教理の通り、完全なホーリネスの教理を主張していった。この運動はメソジスト内だけに限らず、多くの都市で普遍的に起こった。長老派の牧師も少なからずこの運動に関連している。例えば、ホームズ(N.J. Holms)のような長老派牧師は1899年他のホーリネス派の長老教信者とともにBrewerton長老教会を建てた。そのグループは長老教の小教理問答と大教理問答に聖潔の教理を二次的な祝福として加えた。
3.瞬間的な聖潔
ウェスレーの聖潔論には、漸進的な面と瞬間的な面があるが、その強調するところは瞬間的な面にある。クリスチャンの完全は恵みによって瞬間的に与えられるが、瞬間的な聖潔以降の成長のためには、神の恵みに応える人間の姿勢と態度、つまり献身、服従、善行、恵みの手段を活用することなどが必要であると力説した。
Phoebe Palmer婦人とその夫Walter Palmer博士の働きは、メソジスト思想のなかで、新しい運動を引き起こした。彼らは聖潔の増進のために火曜集会を始めたが、彼らの集まりは急速にリバイバルを興し、数百人の一般信徒が超教派的に集まった。
Palmer婦人は初代教会の信徒たちが体験した聖霊の体験と完全の経験は「祭壇の前にすべてを」(all on the altar)捧げることで得られると言い、これが瞬間的に聖化する近道(the shorter way)であると述べた。彼らの教えは1839年にメリット(Timothy Merritt)によって「クリスチャンの完全に関する案内」(The Guide to Christian Perfection)という刊行物として紹介され、後にこのタイトルは「聖潔への案内」(The Guide to Holiness)に変わった。
*ともに祈りましょう。
1.主に自分のすべてを捧げることができるように祈りましょう。
2.我々の霊を持続的に聖潔の恵みの内に預かるように祈りましょう。