クリスチャン・キャリア・ツール創設者 Althea Debrule氏
「腐ったリンゴが1つあると樽全体がダメになる」ということわざがある。このことわざは悪い上司について当てはめるより適切なことはないだろう。おそらくほとんどすべての社員たちは、悪い上司の下で働いた不愉快な経験をもっているだろう。悪い上司には共通してみられる兆候がある。それを以下に挙げてみることにしたい。
感情のコントロールができない(箴言20:2、16:14)
何か間違ったことをしてしまったとき、いちいち感情的になって怒りを露わにする上司の側に近づきたいと思う人は誰もいないだろう。このようなタイプの上司は会社の社員に対する思いやりがなく、他の社員たちの前でひどくしかりつけることで、自身を良く見せようとしているのである。
部下をえこひいきする(箴言4:5)
あらゆる組織において、上司が部下をえこひいきすることによる悪影響が生じている。このような状況は、会社の人間関係を気まずくし、えこひいきされていた人自身も最終的には気まずい状況に陥らせることになる。部下をえこひいきしたり、不公平に扱うことで、上司への信用は薄れていく。
洞察力・決断力・見識の欠如(箴言 28:16)
悪い上司は部下の仕事へ過剰な責任を押し付ける。そのような上司は部下に対し不合理なこと、実現不可能なことをやり遂げることを期待しているかもしれない。この様な上司は問題対策に集中するかわりに、誰かスケープゴートとなる社員を見つけ、責任を押し付けようとしているのである。
甘い判断力・決断力(箴言29:5)
残念なことに、一部の上司は上に立つ者とはどうあるべきかを知らないで上司となっている。ある仕事に対する遂行能力には長けているのかもしれないが、他人とどのように協力して仕事をするべきかを知らない上司がいる。今日のビジネス界においては、スキルと協調性の両方が重要である。
言うことが統一されておらず、ころころと変わる。(箴言29:22)
悪い上司はモラルの低下、社員のパフォーマンス低下、悪い労働環境を生み出す。特に上司に二心があるとき(一つのことを命令しておきながら、後で別のこと命令する)そのような環境を作りだしやすい。自分に自身がない上司は、社員に社内のすべての噂話や社員・その他の上司のネガティブな情報を報告するように促すことで、社内環境の悪化を招いている。
自己中心的である(箴言28:10)
悪い上司は自己中心的で、自分に捉われており、部下をまるで人間でないかのように扱い、部下に対する配慮がない。自身の会社への貢献度については過剰に表現するが、他の社員の会社への貢献についてはあまり賞賛しようとしない。このような上司はいかなるコストをかけても自分の必要を満たすことに専念し、常に他人から尊敬されることを要求する一方、他の社員が同じように扱われることには否定的な考えをもっている。
部下の業績低迷に対し、適切な対策をしない(箴言20:26)
悪い上司は社員が仕事の責任を果たさずにいることを見逃している。社員の業績が低迷しているときに、その社員の業績が改善するために助言するわけでもなく、全く別のことを考えている。
今日では多くの若く優秀な労働者が様々な情報をもって上司の下で働いている。そのため悪い上司、愚かな上司の下で働くことによるストレスを感じる社員も多いだろう。上司が自分より知識が足りておらず、経験もないと思うと、特に上司の命令には従いたくないものである。
聖書ではこの様に述べている。「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい(1ペテロ2:13−17)。」
特にクリスチャンに対しては、人として尊敬できないような悪い指導者であっても、立場を尊敬し、支え、励ますことが奨励されているのである。「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。(エペソ6:5-7)」
(Althea Debrule クリスチャン・キャリア・ツールより翻訳・転載。Althea Debrule氏は聖書の原則に基づいて個々人のプロフェッショナルとしての経営能力を高めるための情報を掲載している。Althea Debrule氏はクリスチャン・キャリア・ツール創設者であり、神様からそれぞれの個々人に与えられたポテンシャル能力を最大限に引き出すために尽力している。Debrule氏は1997年以来全米および世界各国においてキャリアコンサルティング、エグゼクティブ・コーチング、個人的成長指導などを行っている。)
【解説】
―「北風と太陽」というイソップ寓話がある。旅人に冷たい北風を吹きつけても上着を脱がすことはできない。しかし暖かい太陽が燦燦と照りつけると自分から上着を脱いでしまった。人間性もまた同じことがいえるのではないか。本来の神様の与えられた霊性・清い心に世の中の経験が積み重なることで高慢の覆いがかぶせられてしまった。この「高慢の覆い」を取り除くために、上司を裁き、非難し、冷たい態度を取ることでは余計にその覆いは固くなる。聖書に書かれてあるように、かえってその上司を励まし、立場を尊重し、愛を与えることで、神のみこころが上司の内に働き、自分からこれまで覆われていたものの愚かさに気付き、「高慢の覆い」から脱皮できるようになるのではないだろうか。「善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです」-とあるが、善意をもって仕えることで、頑なな人、無知なる人の愚かさを変えることができる神のみこころを信じられる私たちクリスチャンでありたいものである。