【誰がイエスを殺したのか?その1】・・・神が殺した
この質問の答えには、多くの人物が考えられる。
祭司長たち・・・イエスの伝道の成功と人気を妬んで殺害計画を立てた。
ユダ・・・銀貨三十枚でイエスを売った。
弟子たち・・・守るべき主を見捨ててしまった。
民衆・・・祭司長たちに唆され、群集心理に駆られて十字架を要求した。
兵士たち・・・イエスをむち打ち、あざけり、必要以上にイエスを痛めつけた。
ピラト・・・イエスの無罪を承知しながら、暴動を避けるために死刑を宣告した。
弟子たちと総督ピラト以外は、積極的にイエスを十字架に追いやることに加担した。政治的には「釈放する権威があり、また十字架につける権威がある」はずのピラトは権威者としてのコントロールを失って、暴虐な力に飲み込まれ、死刑を宣告した。
なぜ、そのような結果になってしまったのか。その理由は明らかで、イエスを十字架につけたのは神なのだ。最終責任は神にある。十字架が神の計画であったからこそ、ピラトには回避することができなかったのだろう。
十字架計画は、エデンの園でアダムとエバが罪を犯したときにすでに発表されていたのだが、また聖書の至る所で予告されてもいる。旧約聖書の多くの預言、象徴、儀式などは、イエスの十字架を指しているのだ。
イエスの生まれる六百年前に、預言者イザヤは十字架のあがないを描写した。「彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。・・・しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」
「神に打たれ」「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった」なら、十字架は神の仕業なのです。
【誰がイエスを殺したのか?その2】・・・イエス・キリストが殺した
さらに突きつめて、責任を追及してみよう。父なる神が最終責任を取るなら、次に責任を取るべき人物はイエス自身である。彼は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためである」と自分の目的を単純に語った。
イエスは「わたしは良い牧者である。良い牧者は羊のためにいのちを捨てる」と語り、さらに加えて「だれも、わたしからいのちを取った者はいない。わたしが自分からいのちを捨てるのだ」と言った。
イエスは、エルサレムに行けば十字架刑が待ち構えていることを百も承知の上で、エルサレムに向かったのです。エルサレムへの都のぼりの目的は唯一、全世界の救いのために苦しみを受けることだった。イエスがエルサレムに行かなければ受難はなかったのだ。まさしくイエスは、十字架刑の責任者なのだ。
【誰がイエスを殺したのか?その3】・・・私が殺した
十字架刑に参与した人たちは、神からまたはサタンから操り人形のように操られたのではない。彼らの罪は飽くまでも罪なのだ。祭司長、大祭司、律法学者、パリサイ人、ユダ、弟子たち、総督ピラト、ローマの兵士たち、みんな重要責任者です。
しかし、彼ら一人ひとりは人類の代表者であると言える。人類の罪や神への憎しみを代表してそこにいたとも考えられるのだ。もっと具体的に言えば、私たちの代わりに十字架の受難に参加していたのではないだろうか。つまり、私たちは「私がそこにいたらどのように振舞っただろう」と自問自答しながら、重要責任者たち一人ひとりを吟味していくうちに、他人事ではなくなってくる。
私が直接イエスに手を掛けなくても、それは歴史的にそこにいなかったからであって、「もしそこにいたら自分は誰に当たるだろうか」と考えるときに、自分には責任はないと言えなくなり、いや、むしろイエスを十字架につけたのは私だ、と思うようになるだろう。
使徒パウロという人は「私は罪人のかしら」と言い、直接イエスの十字架にかかわっていなかったが明確な自己責任を実感していました。そのような人間の罪の現実を貫いて神の恵みの計画が実現したのだ。
墓
十字架から降ろされたイエスを、母マリヤは抱きかかえる。息をしていようとしていまいと、かかわりなく母マリヤは自分の息子に愛情を注ぎかける。
むちで打たれたとき、マリヤの心は剣で刺し貫かれように感じた。十字架を運ぶときも釘づけられたときもマリヤの心は剣で刺し貫かれた。しかし、イエスの死体を抱いたマリヤの心は平安であった。イエスの苦しみが終わったからだ。悲しみはあったが、その悲しみを超える慰めがあった。それはイエスが世の罪を負う神の小羊として、遂に贖いを完成させたからだ。
メシヤとしての使命を遂行した。イエスは今や父なる神の御手の中にあり、もはやサタンも人々も彼を苦しめることはできない。すべては完了したのだ。
イエスの弟子でもあった有力な議員アリマタヤのヨセフは、イエスのからだを引き受けたいと願い出て、許可を受け、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、からだを香料と一緒に亜麻布で巻き、もう一人の議員ニコデモと数名の女たちとともに墓に納めたのだが、イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、岩をくりぬいて作った、まだ誰も葬られたことのない新しい墓があったからだ。
葬り
十二弟子たちはどこにいるのだろう。ユダは自殺し、ヨハネは十字架の下にいた。おそらく、他の弟子たちは遠くから十字架のイエスを見ていたのだろう。彼らは罪悪感と敗北感でうちひしがれていたのだ。自分が虫けらのように小さく見え、誰一人「私たちの中で一番偉いのは誰か」と口にする者はもはやいなかった。
ガリラヤ地方出身の弟子たちはエルサレムの都で、ただ一人でいることは苦痛過ぎたのだが、彼らはユダヤ人を恐れて秘密の小部屋に集まり、互いの顔を見つめ、うなだれ、ため息をついていたのだ。あのペテロですら口を開かなかった。彼らのプライドは粉々に砕かれたが、いざとなると砕かれた破片を集めることのできる一番偉い人はいなかった。
イエスの教えも癒しも悪霊追放も思い出すことがなかった。ただ、十字架上のイエスがあまりにも激烈な死だけが彼らの印象に残り、その死の姿が脳裏に刻印された。
三年間、一日も欠かさず絶えず目の前で見ていた主であり教師であるイエスが突然彼らの人生から消えてしまったのだ。十八時間前には一緒に食し、顔を合わせて会話をしていたのだが、今となっては、それが遠い昔のことにしか思えない。過去の三年間が人生から消去されたようなのだ。
時間は遅々として進まない。顔を上げて仲間を見つめ何か言おうとしても言葉が出て来ない、またうつむき、うなだれる。夜中寝ることができないのだが、うとうととすると、十字架の幻が鮮明に浮かび上がって、また目が冴える。
イエスは墓に葬られた。生きている弟子たちの魂も、また絶望という墓に葬られてしまったのだ。これから生きて行くための希望のかけらさえも見えない。罪悪感と恥と悲しみの中に埋もれてしまったが、弟子たちもイエスが死んだときに死んでしまったのだ。
落ちていく、暗闇の穴の中へと音もなく落ちていく、黄泉の世界へ落ちていくが、それに抵抗する意志も力も残ってはいなかった。
落ちゆく中で、深い淵の底からかすかな響きを聞いた。「初めの愛に帰りなさい」「わたしは羊のためにいのちを捨てる」「人が友のためにいのちを捨てるより大きな愛はない」
暗闇の中のかすかな声は彼らの脳裏に一枚の絵を思い浮かばせた。足元にかがみこみ、汚れた足を手にとり、たらいの水で洗うイエスの姿であった。イエスは頭をもたげ、覗き込むようにして目を見ながらささやいた。「わたしはあなたを友と呼んだ」(続く)
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。