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イエス伝

「イエス伝」(44)・・・弟子の足を洗うマスター 平野耕一牧師

2010年9月14日10時33分
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関連タグ:平野耕一

ゴルゴダの丘で十字架につけられるまでに、あと15時間と迫ってきた。イエスがその壮絶な痛みと苦しみを想像するだけで、恐れとおののきで身震いしたであろう。それに、イエスは3年間寝食を共にした弟子たちを残したまま地上を去らなければならない。弟子たちの心は十字架に向けてまだまだされてない。

ユダの裏切り、自分の死、天の父のもとにもどること、迫害の中に残される弟子たち、いろいろな思いが頭の中で交錯している中で、過ぎ越しの食事をするために席に着いた。これが、弟子たちとの最後の食事になると思うと熱い思いが胸から込み上げてきた。

弟子たちには、イエスの死とそれが巻き起こす大混乱を予測できないし、ましてや覚悟もできていなかった。最後の夜だというのに、だれが一番偉いのだろうかと議論しているのだ。激動の時間が迫っているのに、彼らはいまだに幼稚なままだった。

しかし、イエスは彼らをいつくしんだ。また、数時間後に起こり彼らを巻き込もうとしている暴風とそれがもたらす破壊を考えると、彼らがいとおしく思えた。彼らを見つめながら、この3年間よく従ってきたものだと考えるだけでも深い慰めを得た。もともと、彼らはガリラヤ地方の無学なただ人に過ぎなかったのだ。

今イエスにあるのは、この数少ない弟子たちなのだ。すると、イエスのからだの芯から何か熱いものが込み上げてきた。彼らのためなら死んでもよい。イエスは、これほどまでに弟子たちを愛していたのかと自ら再認識させられたのだが、この熱い自分の愛をどのようしたら彼らに伝えることができるのか、思いは頭の中をかけめぐった。

イエスは、突然立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとい、たらいに水を入れ、弟子たちの足元にひざまずいた。

弟子たちは何が起こっているか見当がつかない。ただ、あっけにとられてイエスの行動を見つめるほかなかった。イエスの行動はあまりにも俊敏で「何をなさるのですか」と質問する暇も与えなかった。

イエスは弟子の汚れた足をその手で持ち上げ洗い始めた。

「しまった」弟子たちは心の中でつぶやいた。「イエスの足を洗うべきだった」最後の晩餐の部屋に来るまでは、ほこりだらけの坂道を歩いてきたのだ。サンダルを履いていた足はひどく汚れていた。足を洗うのは下僕の仕事なのだが、自分は一番と思い込んでいる弟子たちには他の弟子の足を洗うことなど、まっぴらごめんであった。

しかし、イエスが自分たちの足を洗うとは、そこまで彼らは想像できなかった。足はきれいにされていくのだが、心は恥ずかしさでいっぱいであった。

イエスはすでにユダがイエスを売ることを知っており、ペテロが「私はあの人を知らない」と拒むことも、弟子たち全員がイエスを見捨てて逃げることも知っていた。

イエスはきっと、ユダの足をはじめに洗ったであろう。そうすることによって、イエスは「ユダよ。まだ、遅くない。思いを変えるだけでよいのだ。あなたの裏切りを見過ごす」と、アピールしていたのだ。

ユダは祭司長たちと銀30枚でイエスを売る取り決めをしていたのだが、まだそこから引き返す余地はあった。イエスが洗ったのはユダの足だけではなく、その心であった。

イエスは自分を裏切り、数時間後に自分を売り飛ばす弟子の前にひざまずいて、その汚れた足を洗う。なんという光景であろうか。

愛することは自分を低くすることであり、愛する者の汚れに触れることであり、ご自分の手を汚すことであり、彼らのために傷つくことであった。いとおしい弟子たちの足を洗うことに何の抵抗も感じなかったのだ。足を洗う行為は十字架の心から生まれたのだ。

イエスの口からも弟子の口からも一言も語られなかった。その沈黙は延々と続くように感じられた。ペテロの足元にひざまずいた時、ペテロはたまらなくなって、沈黙を破った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか」イエスは頭をもたげ、ペテロの目を見つめながら、「わたしのしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになる」と言った。

イエスには分かっていたが、ペテロには分かっていなかった。それはペテロの裏切りである。ペテロは、三度にわたって、「あの男を、私は知らない」と言うようになるのだが、まさか自分が裏切ることになってしまうことなど、見当もつかなかった。

ペテロは「決して、決して私の足を洗わないでください」と懇願した。自分がイエスの足を洗っていたらどんなによかったことか、後悔が心に広がった。イエスの手が彼の足に触れるなら、むしろその足は痛むであろうと思った。

イエスは、ずばり「もし、わたしが洗わなければ、あなたはわたしとなんの関係もない」と、言った。

もちろん、洗うというのは足の汚れではなく、ペテロの裏切りである。洗うことによって、イエスは「あなたを赦す」と語っているのだ。ペテロは裏切る自分の姿を知ったときに打ちのめされ、自尊心もプライドもエゴもこなごなに打ち砕かれる。回復不可能だ。彼が回復するとしたら、その唯一の道は、イエスがその汚れを洗いきよめ、ゆるすこと以外にない。

もし、イエスがペテロの足を洗うことを拒絶するなら、ペテロの再生の道は閉ざされ、イエスとペテロの関係は打ち切られてしまうのだ。

わけがわからなくなったペテロはそれでも抵抗して金切り声をあげる。「主よ。私の足だけではなく、手も頭も洗ってください」イエスは答えた。「水浴した者は、足以外に洗う必要はない。全身はきよいのだから」

過ぎ越しの食事は宗教的儀式であった。この食事の席に座るためには、丁寧な水浴をすることが条件であった。彼らのからだはすでに洗われていたのだ。汚れているのは足だけである。

つまり、イエスはペテロの拒絶や弟子たちの逃亡を「全身が汚れている」とは見なかったのだ。イエスに対する信頼や忠誠心や信仰が消滅したとは思わなかった。彼らは、幼稚なためにまた恐れのために大失敗を犯す。しかし、それは洗いきよめることのできるものであった。イエスは失敗する弟子たちに対する希望を失ったわけではないのだ。

全員の足を洗い終わったイエスは弟子たちをぐるり見回して、「わたしがあなたがたになにをしたかわかるか」と尋ねた。もちろん、弟子たちには分からない。あっけにとられているうちに終わったのだ。

「あなたがたも互いに足を洗いあうべきだ」このことばは、やっと彼らの心に浸みわたった。仲間の足を洗う発想など一度もその頭をかすめたこともない。しかし、彼らの教師であり、主であるイエスがひざまずいて足を洗う姿は、心の映像に焼きついたのだ。それは、これからの彼らの生きざまになるべきものであった。

最後の晩餐

ダヴィンチの壁画のために「最後の晩餐」として知られているのは、過ぎ越しの食事会のことである。この食事会は一年で最も重要と考えられた。キリスト教で言うならクリスマスのような意味合いを持っている。そのため、ユダヤ教のカレンダーは過ぎ越しから始まり、それが記念となり始めの月ニサンとされているのだ。

この事件は奴隷の民イスラエルがエジプトから脱出した前日に起こった。主なる神がエジプト全土にさばきをくだされたのだが、エジプト人と同様にイスラエル人も罪人であった。さばきが公平に行われるなら、イスラエル人の上にもさばきが下されなければならない。

神はエジプトの圧政のもとに苦しみの叫びを上げているイスラエルの民をあわれに思ったのだが、だからといってその罪をただ見過ごすわけにはいかなかった。

そこで、神はリーダーのモーセに「一歳の雄羊を殺し、その血をイスラエル人が住んでいる家の門とかもいに塗る」ように命じる。神がさばきを下すためにエジプト全土を行きめぐる時に、そのかもいと門に血のしるしを見るならば、その家の中にいる者をさばかずに「過ぎ越す」と言われたのだ。

イスラエルの民が自由を獲得するために与えられたあわれみと子羊の血のあがないを、この食事によって思い起こすための儀式だったのだ。彼らは食事をしながら神に感謝し、祈り、礼拝をささげた。

イエスが過ぎ越しの日に十字架にかけられたことは、決して偶然ではない。むしろ、神の計画のうちにあったことなのだ。イエスの血も十字架上で流される。その血は全世界の罪を赦すためのものであった。

しかし、全世界のためであるが、また親しい友のためにいのちを与え血を流すことでもあった。この時点において、イエスは彼らをしもべ以上の者、また弟子以上の者、つまり友として認め、「人がその友のためにいのちを捨てること、これ以上の愛はない」と語りかけた。そして、「お前たちこそわたしのかけがえのない友なのだ」と言った。

その友の顔を見まわして行ったのが、はじめての聖餐式なのだ。

イエスはパンを取り、祝福し、砕いてから(イースト菌・パン種が入っていなかったので平たく堅いパンであった)、弟子たちに手渡して言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだである。取って食べよ」

同じようにワインの杯を手にとって彼らに渡し、「この杯は、あなたがたの罪を赦すために流すわたしの新しい契約の血だ。取って飲め」と言った。

イエスが弟子たちに伝えようとしたメッセージは明らかであった。「赦す。赦す。お前たちの裏切りを赦す。お前たちの失敗によって私たちの関係は壊れることはない。お前たちが絶望のどん底に落ちても、必ず、立ち上がるのだ。お前たちにわたしのいのちを与える。そのいのちの力によって乗り越えるのだ」

イエスは、また3年前にバプテスマのヨハネから受けた杯のことを思い起こした。彼は「お前が、世界の罪を背負う神の子羊だ」と言って杯を差し出したのだ。あの日、自分が誰であり、何をしなければならないかを明らかに知ったのだ。イエスの舌に、再びあのぶどう酒の味がよみがえってきた。

ぶどう酒になるためには、ぶどうの実は踏みつけられなければならない。くりかえし足の裏で踏みつけられると、皮は破れ、果肉押しつぶされ、果肉と皮と種はぐちゃぐちゃにまざりあい、かたちのないものとなる。「お前はぶどう酒になるのだ」、イエスは自分に言い聞かせた。

ついに、神の子羊となる時がきたのだ。ヨハネの修道所でくりかえし読んだイザヤのことばが頭の中によみがえってきた。「彼は痛めつけられたが。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を切る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。・・・彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」

イエスは静かに目を閉じた。そのまぶたの裏には、ほふり場に引かれて行く子羊の姿が映し出された。「お前が、神の子羊だ」ヨハネの声が再び聞こえてきた。

しかし、イエスを瞑想から呼び出す声が聞こえてきた。「この中で誰が一番偉いのか」十字架が12時間後に迫っているのにこのありさまなのだが、イエスはやさしく「仕える人になりなさい」と教えさとした。

ペテロへの警告

自分こそ一番だと主張してやまないペテロに向かってイエスは「サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけようとしている。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」と言った。

ペテロは「主よ。牢であろうと死であろうとついていく覚悟はできています」と、きっぱり言い切った。

イエスは「きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないとい言うだろう」と言った。部屋の空気は緊張感でピーンと張り詰めた。イエスは、いったい何を言おうとしているのか。きょう、何が起ころうとしているのか。

立ち上がったイエスは、不安にかられている弟子たちに向かって「さあ、行こう」と言った。最後の晩餐はとじられた。そして、イエスの一行は一度エルサレムを出て、オリーブ山にあるゲッセマネの園に向かった。

◇

平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:平野耕一
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