「それから6日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行った」のだ。
「それから」とは、ピリポ・カイザリヤで起こった信仰告白後という意味だが、次の物語はカイザリヤ事件と密接に関連していることが分かる。そこで、初めて十字架を明らかにしたが、それから数えて6日後に起こったのだ。
ピリポ・カイザリヤからガリラヤへ向かう道なので、その途中のタボル山がこの「高い山」であろう。
「彼らの目の前で、御姿が変り、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。」
ピリポ・カイザリヤが十字架を象徴しているなら、この高い山は復活を象徴しているのであろう。当然のことだが、復活は十字架に続くのだ。ペテロはこの時の経験を「主の御威光を目撃した」と表現したが、「御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった」変貌を、イエスの復活の姿と理解しただろう。
そこに、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合ったのだが、モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者である。旧約の二人の代表者はイエスと何を話し合っていたのだろうか。当然6日前に弟子たちに始めて明かしたとそれに続く復活についてである。
モーセはシナイ山頂で、主なる神から幕屋礼拝所の設計図を細かく指示されたが、同じようなことがここでイエスに指示されたのであろう。十字架への具体的な進展をあらかじめ指示されたのだ。二人は、イエスが十字架へ向けて心の準備するために、また励ましを与えるために天の父から送られたのだ。彼らの現われは、イエスにどれほど勇気を与えたことか。
モーセとエリヤを目撃して興奮したペテロは、ここでも口出しした。なぜなら、言うべきことが分からなかったからなのだが、普通は言うべきことが分からない時、人は口を閉じるものだ。ペテロは言うべきことが分からないくらいでへこたれない。
「先生。私たちがここにいることはすばらしい。もし、よろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ」。幕屋とはキャンプに使うテントではなく、そこで生活できるような住家のことである。つまり、ペテロは、この山頂でいつまでも一緒に暮らしましょう、と提案したのだ。
モーセとエリヤがそんなことするわけがないだろう。イエスは数カ月後に十字架につけられるという緊迫した状況なのに。ペテロはまた、大きく的を外したが、まだ、ことばを続けている時に、「光輝く雲がその人々を包み、雲の中から声が聞こえてきた」のだ。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」
このことばによって、天の父はイエスの使命がモーセやエリヤの使命以上であることを証しした。イエスはモーセやエリヤに勝る者であったとは、三人の弟子たちには驚きであったろう。彼らはもう、モーセやエリヤに聞くのではない、イエスのみに聞くのだ。
このことばは、バプテスマ時のくりかえしであることに注意していただきたい。天が裂けて、御霊が鳩のようなかたちをしてイエスの上に下ったときに、同じことばが語られた。イエスのバプテスマはメシヤ活動の起点であったが、変貌経験は中間点になるのだ。初めはミニストリーへのしるしであり、このときは十字架へのしるしなのだ。初めはメシヤ活動を開始せよ、後は十字架へ向かえという合図であった。歴史が大きく動こうとしている。
弟子たちは、この声を聞いて、ひれ伏し非常にこわがったが、イエスが彼らに手を触れて「起きなさい。こわがることはない」と言ったので、彼らが目を上げて見回すと、「だれもいなくて、イエスおひとりであった」。弟子たちはモーセとエリヤがそこにいなくて落胆したが、実は、イエスお一人で十分なのだ。
イエスこそ、「信仰の創始者であり、完成者である」。この「イエスから目を話さないでいる」ことが何よりも重要なことなのだ。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。