イエスがいかに型破りであったかは、マタイを弟子に加入したことだけでもわかる。その結果、いわくつきの罪人たちがイエスの周りに集まった。
パウロは「すべての人は罪を犯したために、神の栄光を受けることはできない」と言った。その理由は、人がすべて罪の中に生まれたからであると説明した。しかし、福音書の中では違った意味合いを持ち、罪人は「特定の人々」を指した。犯罪人、悪霊につかれた人、異邦人、死体を扱う仕事をする人、ひどい皮膚病人、生まれつきのハンディキャップ、娼婦、また取税人も含まれていた。
つまり、マタイも「レッテルつきの罪人」だったのだ。マタイを弟子として招いたイエスの行動は2つの意味で変わっている。
まず、当時の教師たちは弟子を招くことをせず、弟子の方から志願した。志願したものの中から、いかにも優秀な人を受け入れたのだ。今日の大学受験や入社試験に似ている。しかし、イエスは自らマタイに声をかけた。おそらくマタイは、師から招かれることがなければ、この道に入ることを思いつきもしなかったはずだ。弟子が教師を選ぶ時代に、イエスは弟子を選んだのだ。
次に、イエスは「レッテルつきの罪人」を弟子に加えた。このことは珍奇で、これだけでもイエスと弟子たちが「おかしな集団」と見られるのも当然である。
だれよりも驚いたのは、マタイ自身に違いない。そして驚きは感激へ、また感謝へとなって行ったのだろう。イエスの「わたしについてきなさい」の一言で、希望の世界がフアッと広がっていった。
彼は感動のまま、パーティを自宅で開いた。テーブルに山のような果実、食べ物、ワインが並べられたのだが、招かれた客が次々とやってきた。マタイの仲間たち、つまり、取税人、ハンディキャップ、娼婦たち、その他に社会のはみ出者、嫌われ者たちが集まった。
人々が、「イエスは罪人と一緒に食事をしている」と中傷したのも無理がないほど異様なグループだったのだ。彼らは宗教家から嫌われていた。また彼らも宗教家には近づかなかった。宗教家のそばにくるだけで、さばかれていると感じた。拒絶されていることは明らかであった。
しかし、イエスのそばに来るだけで、イエスが一言口にする前に、彼らはゆるされていること、受け入れられていることを実感した。イエスのそばでは、自分の存在が軽くなるように感じた。イエスのからだから、神のゆるしが漂ってきたのだろう。
当時の宗教家たちはイエスを「くいしんぼうの大酒のみ」とうわさをした。イエスは、自分の宗教は喜びのパーティのようであることを「新しいワインは新しい皮袋に入れる」と言ったのだが、新しいワインとはイエスの教え、新しい皮袋とは罪人たちのことを示していた。
マタイの才能は見事に開花し、ついには「マタイによる福音書」を著作した。その中で、最も多くの人々を救いの体験に導いたことばが記されている。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます」
マタイ自身が罪と罪悪感の重荷をおろして軽くなったからこそ、レッテルつきの罪人を招くことができたのだ。罪の重荷でうめいた仲間たちは、イエスのもとに来て軽くなっていった。
マタイは非常に効果的な伝道を展開した。彼のやり方を観察すれば、伝道とは何かが見えてくる。
1. 自ら救いを体験して感激すること。
2. 感激の喜びと勢いで知人をイエスに会わせること。
3. 知人がイエスを直接体験できる場を備えること。
これだけで、マタイは伝道の効果を十分にあげた。自ら救いに感動し、喜びにあふれていることが、伝道に何よりも大切なことのようだ。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。