志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。(イザヤ26:3〜4)
私は昭和16年9月2日生まれ、出身は鹿児島県の種子島です。鉄砲伝来の島として有名ですが、最近はロケットの基地として知られています。
近頃は少なくなりましたが、私の子どもの頃は本当によく台風が来ました。種子島は台風銀座と呼ばれたくらいです。家の屋根が飛んだり、倒れたりで大変でした。ところがこの台風、多くの被害をもたらしたのですが、益とすることもまた、多くあったのです。
例えば、種子島の沿岸は、あわびとか海老、磯の魚がたくさん獲れるのですが、最近はあわびもその他の海産物も小さくなったというのです。なぜかと言うと、台風が来なくなったからだそうです。台風が来ると、激しい風と波が磯の岩や石を動かし、ひっくり返します。そして、磯の魚やあわびや貝のえさとなるプランクトンや海草が、毎年新鮮になり、多くなるんですね。
だから、台風は豊かな生命と食糧をもたらしていたのです。有難くないと思っていた、迷惑がられていた台風も、実は必要なことだったのです。
私たちの人生にも、あまり歓迎したくない出来事が多く起こって来ます。いや、そんな出来事ばかりであるかも知れません。ああ、こんなことがなければとか、あんな目にあわなければ今頃は、と考えている人が大勢いるのではないでしょうか。
しかし、できると信じる人、できると考えることのできる人は、どのようなことの中にも、必ず道を見出すものです。
私が院長をしている生駒聖書学院の卒業生で、現在、長野県で牧師をしておられる先生の証しです。
彼は山登りが好きで、よく山へ出掛けました。なぜ山に登るのかと聞かれた時、「そこに山があるからだ」とは有名な言葉ですが、彼になぜ山に登るのかと尋ねると、「祈るためです。神様を賛美するためです」と答えます。
ある時、谷川岳へ登りました。頂上を極め、そこで思い切り賛美歌を歌い、祈りました。良い気持ちで下山を始めたのですが、近道をしようと思いました。今までそんなことはなかったのですが、その日は魔が差したというのでしょうか。脇道へ入ってしまい、ついに谷川岳で迷ってしまいました。川沿いに下ればと思った彼は、谷へ谷へと下りて行きました。
ある小さな滝の所を下りようとした時、掴んでいた草が抜けて、真っ逆さまに落ちてしまいました。死ぬと思ったそうですが、背中の荷物がクッションとなって、九死に一生を得ました。
落ちた所は岩棚の上で、上にも下にも横にも行けません。彼はそこでもう死ぬ以外にないと考え、絶望状態に陥りました。しかし、そこはクリスチャン、どうせ死ぬなら、助からぬなら、思い切り神様を賛美しようと、力の限りほめ歌いました。歌っているうちにだんだん勇気と力が湧いて来て、冷静に周りを見ることもできました。そして、泥だらけ、傷だらけになり、絶壁を横づたいに登り、やっと助かったのです。
絶望して座り込むならば、何の解決もありません。けれども、神様に祈り、賛美する時、いつも新しい能力が与えられます。そして、不思議なことですが、解決の道が見えて来るから感謝です。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)
「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)と聖書は語っています。
あなたに激しく襲い掛かって来ている台風のような問題、あるいは絶望の淵こそが、実は、あなたの人生に大きな可能性を、幸せをもたらすチャンスの時となるのです。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。