神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)
1.はじめに
「パワーポイント」と言うと、まだ聞き慣れない方が多いかも知れません。英語の本来の意味は「壁付けソケット」あるいは「コンセント」のことです。そこに電気器具のプラグを差し込むと電気が流れます。電源のことです。
また、「パワーポイント」は直訳すれば「力のポイント」すなわち「力点」ということになります。あらゆる問題を解決する力の原点、力の源は何か、という意味も含んでいます。
2.5つのパワーポイント
アメリカに成功者の記事を載せる「サクセス・マガジン」という雑誌があります。オリソン・スウェット・マーデンという人が、「サクセス・マガジン」に過去百年間に掲載された3万件に及ぶ成功データを丹念に調査して分析しました。マーデンはそこから、「成功の秘訣」として次の5つの基本的な条件を抽出したのです。
1.勇気(Courage)―新しいことをする力
2.忍耐力(Persistence)―スタートしたことを継続する力
3.勤勉(Diligence)―一生懸命努力する力
4.集中力(Concentration)―エネルギーを一点に絞り込む力
5.自信(Confidence)―自分の成功を固く信じる力
成功するための5つのパワーポイントです。これを見て、「なるほど」と思う反面、「なんだ当たり前のことではないか」と思います。
ある講演会で聴衆の一人が松下幸之助氏に「成功の秘訣を一言で教えてください」と質問したそうです。松下氏の答えは、「あなたも雨の日は傘をさすでしょう。それと同じです。当たり前のことを当たり前にやれば必ず成功します」でした。
いろいろな問題に取り組む時も、勇気、忍耐力、勤勉、集中力、自信の5つの条件を満たせば必ず解決するでしょう。
3.目標達成最優先
私の息子が小学校4年生だった時の話です。息子に将棋を教えました。すると興味がでてきたらしく将棋に熱中し始めました。初めのうちは毎晩相手をしていましたが、そのうち私のほうが飽きてしまい、「将棋の本でも読んでもっと勉強しなさい」と言ったところ、今度は読書に熱中し始めました。毎週あちらこちらの本屋さんで将棋の本を4、5冊買って来ては一週間で読んでしまうのです。朝から晩まで「将棋、将棋、将棋」です。食事中も、通学中も、学校での休み時間も、トイレに入っても、将棋の本を離しません。一年後には将棋の本が50冊も息子の本棚に並んでいました。
そのうち、父親が相手になってくれないので、東京の千駄ヶ谷にある将棋会館に通うようになりました。将棋会館は、名人戦や王将戦が行われる日本の将棋界で最も権威ある場所です。そこには道場があって、誰でもいろいろな人と他流仕合いをして正式な段級をもらえるのです。息子はぐんぐん進級して、私も勝てなくなりました。年配の大人や大学生と対等に対戦している姿を見ると、頼もしいと思いがしました。「絶対に将棋が強くなる!」と紙に書いて、部屋のあちこちにはりつけていました。当時、こと将棋に関しては、息子に勇気、忍耐力、勤勉、集中力、自信という成功の5つの条件が備わっていたようです。
ところがです。将棋がいつも最優先ですから、その他のことはまるでダメです。母親がいくら言っても、ガンとして勉強しません。幼児の頃からやっているピアノも全然練習しようとしません。「外に出て少しは運動しなさい」と言っても、将棋盤にかじりついています。将来プロの将棋士として身を立てるのならいいのですが、そうでなければ大変困ったことになるわけです。
勇気、忍耐力、勤勉、集中力、自信という5つのパワーポイント(電源ソケット)にプラグを差し込んで、これを1つの目標に合わせて稼働させるならば、必ずその目標を達成するでしょう。しかし、1つの目標達成に成功したからといって、すべての面で成功するわけではありません。ノーベル賞受賞者が自殺したり、大富豪が離婚したり、政治家が有罪判決を受けたりしていますが、このような例は数多くあります。
問題は、1つの目標達成を最優先するあまり、それ以外をいっさい軽視・無視することにあります。戦後の日本の経済発展至上主義がまさにそうです。国全体が、経済最優先で、毎日毎日「経済、経済、経済」でやってきました。そして、日本は世界有数の経済大国になることには成功しました。
ところがその結果として、宗教心の欠如、道徳倫理の退廃、教育レベルの低下、家庭の崩壊、社会と政治の混乱等を招いて、ひいてはそれらが経済そのものをおびやかすことになっています。
戦前の富国強兵政策もそうですが、完全にバランスと調和を失っているのです。何もあれほど経済発展を急いでがんばる必要はなかったのです。もっとゆっくり落ち着いたペースでやった方がよかったのだと思わされます。
4.全世界を手に入れても
私は40年ほど前に弁護士になり国際的な仕事をする法律事務所に入りました。当時は日本経済の国際化の始まりで、次から次へと大きな案件が入ってきて事務所はまるで「不夜城の如し」でした。入所したその日から徹夜です。
海外との技術提携、合弁会社の設立、企業の買収・売却(いわゆるM&A)、外債発行、外国株式の東京証券取引所上場、国際訴訟、仲裁等の案件が目白押しでした。しかし最近でも、証券会社や銀行の倒産、リストラ等の案件で、忙しさはあまり変わりません。
6年ほど無我夢中で「仕事、仕事、仕事」の生活をしました。経済新聞の一面に載るような大きな案件を扱い、顧問会社の役員として取締役会や株主総会に出席し、鞄一つで海外に出張したりしました。偏狭な島国日本の国際化のために少しは貢献しているのだ、という自負がありました。
けれども、時々「これでいいのだろうか?」「何かむなしいなあ」という思いにとらわれました。そして、「もう一度人生を考え直してみよう」と、オーストラリアの大学に約3年間留学したのです。
幸いなことに、留学先で聖書を学ぶ機会が与えられました。「これでいいのだろうか?」という疑問と、「何かむなしいなあ」という人生の根本的問題を抱えていましたら、聖書に書いてあることを、素直に受け入れられる気持ちになっていたのだと思います。なぜか、次のイエス・キリストのことばが気に入って、これを大学の図書館内の大学院留学生専用キャレルの壁にはりつけて毎日ながめていました。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。(マタイ16:26)
それまでの私は、地位や名誉や財産をもっと手に入れたい、あわよくば全世界をも手に入れたいと、心の奥では願っていたと思います。しかし同時に、その願望が思い通りには達成されないストレスに悩み、かつその願望そのものに対して根本的な疑問とむなしさを感じていたわけです。
5.永遠のいのちVS肉体のいのち
確かに、「いのちあっての物種」ということわざがありますように、地位や名誉や財産よりもいのちの方が大切です。しかし、わずか百年足らずの果ないこの世のいのちなら、短くても好き勝手にやりたい放題に生きて散った方が良いではないか、という考えもあります。
ところが、聖書を学んでいくうちに、この世における「肉体のいのち」よりももっと大切ないのちがあることを知ったのです。それは、「肉体のいのち」の死を越えて存続する「永遠のいのち」です。イエス・キリストが語られた「まことのいのち」とは、「「永遠のいのち」のことなのです。もし「永遠のいのち」なるものが本当にあるならば、それはこの世の「肉体のいのち」よりも、地位や名誉や財産よりも、はるかに価値があるのは当然です。
「永遠のいのち」とは、言い換えれば「神のいのち」のことです。天地万物の創造者である唯一・絶対・永遠・無限なる愛の神のうちに満ち満ちている永遠にして無限なるいのちのことです。
私たちは誰でも、心の奥底では、永遠にして無限なるものを求めています。それが完全に満たされるまでは、真の平安と満足を得られません。人は神よってそのように造られているからです。だからみんな、「あれが欲しい、これが欲しい」「もっと欲しい、もっと欲しい」と際限のない欲望を追求し、悩むのです。
弁護士から国際的な実業家に転じて大成功したある外国のビジネスマンの方を知っています。この方はすでに数百億円の個人財産を築いて、それをすべて税金を払わなくてよい国(タックスへブン)に貯金しているのです。しかし、ビジネスに熱心なあまり家庭をかえりみず、2度も3度も離婚を繰り返しています。また仕事でもいつもトラブルがあり裁判を繰り返しています。
ある時この方に質問しました。「○○さん、あなたはもう一生かかっても使い切れないほどの財産をお持ちなのですから、トラブルの元になるビジネスを誰かに売ってしまったらどうですか。もうそんなに苦労しなくてもいいのではないですか」答えは、「ミスター・ササキ、それはいい提案だ。だが私はお金がまだまだ足りないんだよ」でした。いったいいくらあったら足りるのでしょうか。きっと、全世界を手に入れても足りないのではないでしょうか。
松下幸之助氏はある雑誌でこう語っていました。「私がもう一度生まれ変われるならば、全財産を上げてもよい。もう一度ゼロからやり直してもっと成功してみたい」
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
と聖書に書かれています。イエス・キリストを信じる者は、「永遠のいのち」を受ける、すなわち神のうちに満ち満ちている永遠にして無限大のいのちを享受することができる、ということです。「わたしは限りない愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と聖書にありますように、神の無限大の愛を享受することができるのです。そうすると心の奥底が永遠にして無限なるものによって満たされてきますから、その代償にすぎない地位や名誉や財産などはあまり欲しくなくなってしまいます。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)という聖書のことばから、自分は神の目から見てVery Important Person(VIP)なのだという確信が与えられます。そうすると、他の人々と競争して自分の存在価値を示す必要がなくなります。神が造ってくださった各人の個性のあるがままが最高の価値であることがわかるからです。私たちは「競争して張り合って生きる」べきではなく、「協力して愛し合って生きる」べきです。
これはイエス・キリストを信じてみないとわからないことですが、信じてみると誰もが体験することです。「そんな良いものが与えられるなら信じてみよう」と、私もキリストを信じることにしました。そうしたら本当に永遠にして無限なる神のいのちと愛を受けたのです。そして無益な欲望やストレスやむなしさから解放されました。
何か一生懸命がんばったからではなく、立派な善いことをしたからではありません。自分が神から離れているみじめな者であることを正直に認めたからです。ただ子どものように素直な気持ちでイエス・キリストを信じたからなのです。
私たちは大切なものを得るためには、働いたり、善いことをしたり、お金を払ったりしなければならないと思っています。しかし、本当に大切なものはみな無償で与えられています。太陽も、空気も、海も、野山もみな、天地の創造主によって無償で与えられているものです。私たちの両親も、自分のいのちも無償で与えられたものです。
このように、イエス・キリストを信じて神の永遠にして無限なるいのちを得ることも無償なのです。なぜなら、それはあまりにも価値が大きすぎて、私たちの労働や善行や献金(犠牲)などによっては到底得られるものではないからです。ただ、太陽の光を受けるように、感謝して受けるしかないのです。
6.発電所VS乾電池
これを分かり易く表現すると、神は発電所です。イエス・キリストはそのパワーポイント(電源)です。私たちは電球です。信仰はプラグです。私たちが信仰というプラグをイエス・キリストの電源(パワーポイント)に差し込んでつなぐと、神の巨大な発電所から無制限の電流を受けることができるのです。そうすると、電球がそれぞれの個性(色や形)に応じて美しく光り輝くことができます。このようにして、神の永遠・無限のいのちは、イエス・キリストを通して、信仰によって私たちにふんだんに流れ込んできます。
この「神のいのち」の中には、愛、喜び、平安、知恵、力、希望、謙遜、自制などのすべて良いものが含まれています。勇気、忍耐力、勤勉、集中力、自信という成功するための5つの力もすべて含まれています。ですから、成功するために、あるいは問題を解決するために、5つのパワーポイントに別々にプラグを差し込む必要はありません。ただひとつのイエス・キリストのパワーポイントに差し込めばよいのです。
5つのパワーポイントは成功するための方法にすぎません。一体何のために生きるのか、何のために成功するのか、という人生の深い意義や目的は教えてくれません。やみくもに、目標達成のためだけに突進していくのです。
しかしイエス・キリストは、人は何のために生き、どのように生きるべきかという、人の生きる目的と生き方を教えてくれます。人生全体(人類全体)のバランスと調和を保ちながら、ひとつ一つの目標を達成していくのです。
マーデンの成功の5つのパワーポイントは小さな5つの乾電池にすぎません。それは懐中電灯を照らすことはできます。しかしその光は小さく弱いのです。すぐに電池が切れてしまいますから、いつも新しい乾電池と入れ換えなければなりません。そもそも、停電になったら真っ暗で懐中電灯がどこにあるかもわかりません。わかったとしても電池が切れていてライトがつかなかったりします。イザという時にはあまり役に立たないことが多いのです。
けれども、イエス・キリストのパワー・ポイントは神の巨大な発電所につながっています。私たちの地球のある銀河系には2千億個の星があります。宇宙には1千億の銀河系があると言われています。この広大な宇宙を創りそれを運行しているエネルギーは、この神の発電所から出てくるのです。そこから供給される電力は尽きることなく永遠に全世界(全人類)を明るく輝かせつづけることができます。
7.ハウ(How)VSフウ(Who)
大切なのは、ハウ(How)ではなくフウ(Who)です。「問題を自分で解決する方法は何か」ということよりも、「問題を自分のために解決してくださる方は誰か」ということが大切なのです。なぜなら、この世には問題は数限りなくあるからです。それら全部を自分で解決することは到底できないことです。また、そうすべきでもありません。私たちひとり一人は、神から各人に与えらた問題・課題に取り組んでいくことで必要十分です。その他のことは、神にまかせればよいのです。
神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから明日のための心配は無用です。(マタイ6:33〜34)
これは要するにイエス・キリストを通して神につながることを、生活の最優先順位としつづけなさいということです。「イエスさま、イエスさま、イエスさま」または「主よ、主よ、主よ」と、キリストとともに生きることを第一に求めるのです。それは、日々聖書を読むことであり、絶えず祈ることであり、生活すべての場面においてそこに愛の神がおられることを意識して生きることです。
そうすれば、あくせくしなくても神によって日々生きるための必要は十分に満たされます。「主は私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださいます」(詩篇138:8)の聖書のことばを現実に体験するのです。だから明日のことを思い煩うこともありません。「数百億円貯金してもまだ足りない」とか、「この世一代での成功ではまだ不足だから、もう一度生まれてもっと成功したい」という思いから解放されるのです。働きすぎて自殺したり、家庭をかえりみず離婚したり、不正を行って刑務所に入ってしまうこともありません。将棋はできても、できなくてもよいのです。強くても弱くてもよいのです。家族や友だちと仲良く生きることが大切です。
「肉体のいのち」が死んだ後には、「神の国」すなわち「天国」が待っているという希望と確信が与えられます。ですから、貧しい人や必要とする人たちに自分の全財産を生きているうちに寄付して行こうという気持ちになれるのです。そうすれば、残された子どもたちが醜い相続財産争いをすることもなくなります。
8.唯一最高のパワーポイント
あらゆる問題を解決するパワーポイントはイエス・キリストです。私たちはイエス・キリストを信じることによって、そして日々の生活の中でキリストを第一として生きることによって、あらゆる問題を解決することができます。神のもっているすべてのものが、キリストというパワーポイントを通して、私たちに流れ込んでくるからです。問題を解決するための力、問題を解決するための知恵、問題を解決するための愛が、ふんだんに与えられてくるのです。
あらゆる問題が全知・全能の愛の神の御手のうちにあることを悟り、私たちがイエス・キリストにしっかりつながっている限り、それらは本質的にはすでに解決していることがわかります。二千年前にイエス・キリストが、私たちの罪が許されるために十字架にかかって死んでくださり、私たちに永遠のいのちを与えるために復活してくださったという歴史的事実(霊的真実)によって、私たちの罪、病い、悪しき霊の攻撃からもたらされるあらゆる問題は、根本的にはすでに解決していることを悟るのです。
いかなる問題も、キリストに結ばれている私たちを、害することは決してできません。逆に、キリストによってすべての問題が私たちの益となるようにされていくことを体験するのです。私はこれを毎日体験しています。
あらゆる問題を解決する唯一最高のパワーポイントはイエス・キリストです。イエス・キリストご自身が、私たちのためにすべての問題の解決となってくださっているのです。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。(2コリント9:8)
佐々木満男(ささき・みつお):弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。