私の名前はペテロ。イエスの十二弟子の一人として皆さんに覚えられてきました。あれから二千年という長い歴史が流れ去り、驚くべきその変遷に目を見張ります。しかし、時は変わり世は移っても常に変わることのないものがある。その事実をお伝えしましょう。
私はユダヤ人として生まれ、漁師の子として育てられてきました。ガリラヤ湖には多くの魚がいて、一生を漁師として生きるつもりでしたが、イエス様との出会いによって、その弟子となったのでした。
私はいつものように仲間たちと共にガリラヤ湖に舟を漕ぎ出し、一晩中網を打ち続けたのですが、あいにくその晩は不漁で雑魚一匹かからないという有様でした。空はどんよりと曇り、私たちの心も晴れないまま岸に引き上げました。
その仲間というのは、ヨハネとヤコブであり、アンデレは私の弟なのです。そして私たちはイエス様が多くの人々に神様のことを話され、それが学者のようではなくとても親しみやすい言葉で話されるのを知り、また聞きたいと思っていたところへそのイエス様がおいでになり、私たちはイエス様を舟にお乗せして岸から少し離れました。大勢の人々は岸辺に並びイエス様は舟の中で立ち上がってお話をして下さったのです。
さて、素晴らしい神の国の話が終わり、人々は大変満足して帰って行ったその時、イエスは私に向かって「沖に漕ぎ出して網を下ろし漁をしなさい」と言われるのです。私は驚き狼狽してしまいました。なぜなら一晩中、網を打っても雑魚一匹かからなかったのを体験していたからです。そして私たちは漁の専門家なのですから「ハイそうしましょう」とも言えません。言われた通り網を打って昨晩の二の舞を踏むなら、尊敬の的となっているイエス様に大きな恥をかかせることになるでしょう。私は一瞬、「やめときましょう先生」と言いそうになりました。しかし、同時に、このイエス様のご命令を拒絶してはいけないという気持ちも働きました。ルカの福音書の5章5節を見て下さい。『先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから網を下ろしてみましょう』とあるでしょう。これは、私の口から出た本当の言葉なのです。
私は漁師だったのです。しかし、この時は思い切ってそのプロ意識を捨て去らねばなりませんでした。「お言葉ではありますが・・・」ではなく「お言葉ですから・・・」と言うことができ、素直な気持ちでイエス様のお言葉に服し、網を下ろし、聖書にある通りおびただしい魚がかかり網が破れそうになったのでした。私はこの時からイエス様の弟子となり、その祝福を受けて今に至っていることを深く感謝しております。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。