聖書のことばは、生きていて力があります。本気でアーメンと応ずるなら、書かれている約束は実現します。それがたとえ30秒であろうと3時間の祈りであろうと、偉大な神はご自分の語られるとおりにお答えくださいます。
先日、滋賀県守山市にある開拓教会の献堂式での説教を依頼され、出かけました。その教会は以前、駅前でテナントを借りて礼拝をしていましたが、契約切れで立ち退きを要求されました。
「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩篇81:10)との約束を信じ、教会が祈り始めました。
また、「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)と、聖書の約束をにぎって祈り続けました。
人間の行き止まりは、神様の始まりです。そこでは聖霊の恵みの御業が起こるのです。不可能は挑戦となり、可能となりました。
なんと、先々代から信仰を継承し、キリスト教会がその地域に建つことを祈りながら家庭集会を続けていた家を紹介されたのです。敷地が200坪あり、80坪の家でしたが、格安で提供してもらいました。礼拝堂も新しく改装され、20台の駐車が可能です。そこで行われた献堂式で晴れやかに神を賛美しつつ、神の栄光のすばらしさに感動しました。
偉大な神の子どもとされて大きなことを神に求めて期待することは、恥ずかしいことでも罪なことでもありません。
富雄駅には毎年ツバメが巣を作ります。雛がかえると、親鳥は忙しくえさを運びます。そのとき最初にえさを食べることができるのは、誰よりも先に大きな口を開けている雛だそうです。自然の摂理のすばらしさでもあり、同時に厳しさでもあります。
それはまた霊的生活の法則でもあるように思います。求める者に聖霊をくださり、従う者に祝福を与えてくださいます。聖書の世界はヒューマニズムの世界とは異なるようです。
「あなたの口を大きくあけよ。私がそれを満たそう」。口を大きくあけないとツバメの雛が餓死するように、クリスチャン生活も、沈黙すると命が縮みます。わずか30秒でも、いや1〜2秒でも、純粋に、素直にアーメンと祈るとき、奇跡は起こるのです。
長い時間の祈りや断食、徹夜、早朝祈らなければならないという教えを聞くこともあります。それはそれで素晴らしいことですが、心と行いが伴わなければ、絵に描いた餅です。何の変化も喜びもなく、何時間祈れたと自慢したり、祈れない人を裁いたりしてしまいます。祈りをほんとうに聖書に書いてあるとおりに実現する、アーメンの祈りにしましょう。
偉大なる祈りは、神をたたえ、神の偉大なる栄光を輝かせます。偉大なる祈りは、神の御業を拝します。偉大なる祈りは豊かな喜びをもたらします。
「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ2:20〜21)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。