キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。(コロサイの信徒への手紙3章16節)
心にもない言葉を口にしてしまうと言いますが、言葉というものは、そういうものではないのです。言葉というものは心の内にあればこそ口に出してしまうのです。特に感情的になった場合に口にする言葉には毒気の感情を含んでいます。それによって相手の感情を逆撫でしてしまいます。ですから、いつも良い言葉が口から出るように心の内にイエス・キリスト様の言葉を豊かに蓄えることです。そうすればイエス・キリスト様の言葉で心と考えとを整えることができるようになります。どんな言葉を用いるかによって心の持ち方が左右されます。私たちは、そういう者同士なのです。
ところで私たちは言葉に対して器用でもありますが、不器用にもなれます。例えばロボットは、曖昧な言葉の意味を判別できません。「これをこっちからあっちに持っていきなさい!」と指示されても身動きが取れません。しかし人間は、こう答えます。「わかりました。こっちからあっちですね」。曖昧指示の言葉であっても状況を把握し、それによって自分に適切だと思われる行動を促します。豊かな言語生活は、とても大切なのです。日頃から良い言葉を豊かに宿らせるようにしておきたいものです。私は、沖縄を離れてここ(いわゆる本土のこと)に過ごすようになって41年になりますが、言葉が大切に使われていないように思えてならない場合が度々あります。
イエス様は、言葉をとても大切にしておられます。御自分を信じたユダヤ人たちに向かって、こう語っておられます。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたがたは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書8章32節)。イエス・キリスト様の御言葉に留まることによって真理を知り、その真理は、その人を自由にします。それがイエス・キリスト様の御言葉の力です。ですからイエス・キリスト様の御言葉が私たちの内に豊かに宿るようにしていきたく願うものです。それが自由をもたらしてくれるからです。
その人が自由であるということは自身の身の回りの環境に左右されないということです。どんなに不自由だと思われる環境に身を置いてもそれに左右されない心の自由があります。どんなことにも、いつも感謝することができるのです。インドから来日されたマザー・テレサは、新幹線に乗られた時に手にされた紙コップを大事そうに持ち帰られたそうです。私たちは便利さの中で心の不自由感に囚われてはいないだろうか。感謝よりも不平を口にする傾向はなかろうか。感謝するのがもったいないかのように不平不満をこぼしがちな人たちが少なくないようにお見受けします。
今、世の中は100年に1度の不況と言われています。お互いの心を豊かにし、分かち合いの心が響き合うと助け合いの仲間が増えていくはずです。イエス・キリスト様の御言葉の糧をいただき、それを心の内に豊かに宿るようにしたく願う!今、日本のペット産業は○兆円産業とも言われます。ペットを愛玩することは楽しみですが、もっと人間を好きになりたいものです。聖書は、勧めの言葉として記されています。ですからいつも心がけて感謝しましょう!
津波真勇(つは・しんゆう):1948年沖縄生まれ。西南学院大学神学部卒業後、沖縄での3年間の開拓伝道、東京での1年間の精神病院勤務を経て1981年7月、多摩ニュータウン・バプテスト教会に着任。現在に至る。著作に、「マイノリテイ(少数者)の神」(1985年)、「一海軍少将の風変わりな一生の思い出」(1990年)、「出会い」(齋籐久美・共著、1991年)、「讃美歌集・主よ来たりませ」(1993年)、「沖縄宣教の課題」(2000年)。作曲集CD「生命の始まり」(1998年)、「鳥の歌」(2003年)。