「そのとがをゆるされその罪をおおわれし者は福なり」(詩篇32篇1節、文語訳)
高校の卒業式の日、父が発電所の導水路に飛び込み自殺した。私は途方に暮れた。決まっていた名古屋の新三菱重工に入ろうか、やめて百姓をやろうかと。父の葬式に参列せずに、名古屋行きの汽車に乗った。泣き上戸と言われるほど酒を飲んだ時もあった。
度が過ぎるほど友人と文通をした。その中にあっても、自分は良いが周りが悪いといつも思っていた。病気の母が悪い、脳膜炎の兄が悪い、貧乏の家が悪いと―。
イエス様は、私を友人と通して教会に導き、責任転嫁の罪と内にある罪を示された。
「人の目にあるちりでなく、まずあなたの柱をのぞけ」と示され、イエス様の愛のもとに徹底した悔い改めに導かれた。イエス様の十字架の愛にとかされて8カ月かかって罪の整理をした。
示される罪がなくなった10月29日の朝、表記の聖句が心にのぞんだ。父を自殺に追いやったわがままの罪も赦され、酒からも、兄に対する冷たい態度からも救われた。やがて母もイエス様を受け入れて天に帰った。
私の内に住んで下さる聖霊を信じ、このお方との談話を切らさぬように今日まで導かれた。
「父よかれらを赦したまえ、そのなす所をしらざればなり」。途中で失敗も多かったが、あわれみのゆえに赦され、「このものどもにまさりて我を愛するか」とおっしゃるお方のみ声を聞きつつ、お従いをさせていただきたい。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。