イエス様がエリコの町へ行かれたとき、道端に座って物乞いをしていたバルテマイという目の見えない男が叫びました。彼を黙らせようと大勢でたしなめましたが、彼はますます「イエス様。わたしをあわれんでください」と叫び続けます。
イエス様はその声を聞くと立ち止まりました。それは、今の時代も変わりません。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じお方です。永遠に変わることなく生きている救い主です。
祈りは叫びです。求めることは他の人から見たらおかしく思われることもあるかも知れません。しかし、主の名を呼び求める者は救われるのです。
イエス様は立ち止まり、「あの人を呼んで来なさい」とバルテマイの叫び求める声に答えました。
彼は上着を脱ぎ捨ててすぐに立ち上がり、イエス様のところに来ました。目は見えなくても、彼の顔が喜びに輝いている姿を想像できます。「わたしに何をしてほしいのか」と言うイエス様の問いに、響くようにバルテマイは、「先生。目が見えるようになることです」と答えます。
イエス様は、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。その瞬間、彼は見えるようになり、イエス様のいかれる所に従いました。
朝ごとの祈りの時や日々の瞑想の時に、「わたしに何をしてほしいのか」との声を聞く思いを与えられます。様々なことを祈り求めているけれども、いつの間にか言葉を並べているだけで祈りの時間を叫び続けている姿に気付かされます。
「主よ。お金が必要です」「主よ。病んでいる兄弟を回復してください」「開拓伝道中の牧師の働きを祝福してください」「臨終を迎えている姉妹に平安と天国の輝きをお示しください」。その日の必要のために、主の助けと解決を明確に求める幸いを経験する祈りの時です。
だれにでも惜しげなく、とがめることもなくお与えになる神に純粋に願うなら、必ず与えられます。少しも疑わずに、バルテマイのように信じて願うだけでいいのです。
もうすぐ孫が5歳の誕生日を迎えます。「じいちゃん。誕生日のプレゼントを買ってくれる? お花屋さんのセットだけど」と幼い願いです。
願った孫もですが、そのように言われた祖父の顔は喜びで輝き、孫を抱き上げて祝福を祈ります。まことの愛なる神は、イエス・キリストのお名前による祈りを必ず聞かれます。明確に信じて具体的に祈る恵みを体験してみませんか。
信じますと明確に祈りで告白するとき、祈りは必ず実現します。心の信仰と口に出す言葉が常に一致する祈りでありたいものです。
ラーメンが食べたいと朝から思っていても、食堂へ行ったときウドンと言ったならウドンが出されます。どうしてウドンですか、ラーメンをと朝から思っていたのにと、いくら頑張っても言った通りになっただけです。
祈りの答えは、願いを明確に心で信じることと、告白の言葉を一致させることです。心の中の願いを明確にすると、思うだけよりも百倍も千倍も大きな祝福を体験できます。バルテマイの祈りを模範にしましょう。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。