大正、昭和のリバイバルに貢献し、日本の福音派諸教会の指導者として55年の長きにわたって東京・淀橋教会を牧会した故小原十三司牧師を記念する聖会が1月24日、同教会で開かれた。同教会の峯野龍弘主管牧師は、「神の御心に従うことは純金のように尊い宝のような価値を私たちの人生にもたらす」と語り、真の自己実現は神への全き従順を通してなされることを説いた。
小原氏は1890年、岩手県土沢に生まれた。地元の小学校高等科を卒業した後、さらに2年間通信技師としての学びをし、電信員として川尻、盛岡の郵便局に勤務。その後まもなく東京丸の内の郵便局に転属となったため、19歳で上京した。
16歳で信仰を持ち、盛岡のバプテスト教会で18歳のときに洗礼を受けていた小原氏は、上京後まもなく東洋宣教会に入学。2年間の学びを終了しないうちに抜擢を受け、福音伝道館に伝道師として派遣された。3年後には、宣教会の本部教会であった淀橋教会の副牧師に任命され、そこで水戸徳川家の一女であった徳川鈴子氏と結婚。27歳にして、笹尾鉄三郎氏、車田秋次氏、中田重治氏に次ぐ淀橋教会の第4代目牧師に就任した。
それ以来、1972年1月25日に「リバイバル、リバイバル、リバイバル」と求めながら天に凱旋するまでの55年間、淀橋教会を牧会。大正、昭和の2度のリバイバルに貢献し、戦時下の弾圧時には教会の中心人物として2年半もの獄中生活を過ごした。戦後は解散された教会をいち早く復興させ、未踏の1000人会堂を建設。教団教派を超え、日本の教会史に大きな足跡を残した。
峯野氏は、小原氏がそうであったように、すべての人は生まれながらに尊い使命を神から与えられており、お互いがその使命に生きるときにはじめて真の自己実現がなされると説いた。
また、「わたしの目にあなたは価高く、尊く、わたしはあなたを愛し」(イザヤ43:4)とあるとおり、神は「かけがえのないあなただと、御心を寄せておられる」と語った。さらに「わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した者」(同43:7)とあるとおり、神の栄光をあらわす者として世に命を与えられたお互いは、「神の御心に自らの人生をささげ、忠実に生きるならすばらしい神にある自己実現をし、神にあって完成させられる」と述べた。
信仰の先祖アブラハムがその自己実現の初めとして神から命じられたことは、生まれ故郷の父の家を旅立つことであったことを強調し、「真の自己実現は、人の生まれた境遇によってなされるものではない」「神が私たちにくださろうとし、すでに備えておられる自己実現の道は、お互いが(神に)従えばかなえられていく」と語った。
また、神による自己実現とは、神ご自身が互いを高く引き上げることであり、「何より私たちが高くなるとは、高くなって私たちが満足するためでなく、人々のために役立ち、用いられていくためである」と説いた。
峯野氏は、アブラハムが独り子イサクを全焼のいけにえとしてささげよと神から命じられたとき、迷わずただちに祭壇の場へ旅立つほどの完全な従順を見せたことで、イサクを失わないばかりか、神からの豊かな祝福を授かったことを強調。クリスチャンであるお互いが、せっかく信仰をもったにもかかわらず、聖書から主の言葉を聞こうともせず自らの力だけで自己実現をなそうとする愚かな者になるのではなく、「主の言葉に従って旅立ちなさい」と語った。
さらに、アブラハムに対して神が「全き者となりなさい」(創世記17:1)と命じていることを取り上げ、今日のクリスチャンも、日常生活の中で自らの行いを振り返り、神の栄光をあらわす者としてふさわしくない姿があれば、痛みを覚えてもそれを変えていかなければならないと語った。
最後に峯野氏は、アブラハムにイサクをささげよと命じられてその完全な従順を試された神は、「全き者」となることを願う今日のクリスチャンに対しても、同じような試練を与えられると強調。「人の評判、世の楽しみで私たちの人生が実現されていくかのごとき錯覚をすることなく、神の栄光に進んでいきましょう」と語った。