・・・「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。・・・アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」・・・大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。・・・(ヨハネの福音書6章1節〜14節)
今日開いた箇所は、有名な5つのパンと2匹の魚の物語です。主は、ただ私たちの心を励ましたり霊的な恵みをお与え下さるだけではなくて、お腹が減ったというような、実に肉体的で現実的な、私たちの生活に密接に関わる事柄についても、心配りをして下さって、イエスのほうから空腹であることを心配し、それを満たして下さるのです。
この1週間に起こる衣食住から生活に関わるどんなことであろうと、全てイエスに祈ることができます。私たちは特に3つのことをこの物語の中から心に刻み付け、理解していきたいと思います。
1.すさまじい恵みをなさるイエス
5つのパンと2匹の魚を通して、イエスは結果として5千人を超える人々、あるいは1万人以上の全ての人々の空腹を満たされ、祝福を具体的にお与え下さったことを見失ってはなりません。
この物語を読むときに、5つのパンと2匹の魚という手元にある1人分のお弁当のサイズで神の恵みを測ってはなりません。イエスがして下さったことは、そこにいた大群衆の胃袋を満たされたという事実なのです。
それがどれほどの量だったでしょう。1万人もの人たちが思いっきり食べて、満腹した上に、残ったものが大きなかご12個分にもなるほどの量であったことを軽んじてはなりません。5つのパンと2匹の魚の物語と言っているうちに、それだけしか描けなくなって、実際にイエスが生み出して下さった食べ物の量がどれほどすさまじいかを忘れてしまってはならないのです。イエスが働いて下さるときに与えられる恵みとはそれほどすさまじいものなのです。
2.イエスの恵みに驚嘆する人々の存在
この箇所には何度も「大勢の人の群れ」という表現が出てきます。イエスの癒しの御業が驚くほど鮮やかで、その上5千人1万人を超える人の空腹を満たされて、人々は腰が抜けるほど驚いたので、人々はイエスに関心を持ち、イエスの御業に驚いて集まってきたのです。
イエスの御業が現わされるときには、その恵みを見たいと集まり、驚く人たちが確かにいるのです。時々、商店街などを歩いていて、人だかりを見ると、思わず自分も見に行ってしまうことがありませんか。いわゆる野次馬はどこでも集まるのです。野次馬という非常に無責任な立場であろうと、確かにイエスのしるしを求めて人々が集まっていたのです。たとえ御利益的であったにしろ、とにかく集まって驚き怪しみ驚嘆する人々がいる。そして神の恵みのあるところに人々が吸い寄せられてくるという事実があります。
3.自分の居場所を問われる弟子たち
イエスは、大勢の人々が腹を空かせているのをご覧になって、どうすればこの人々の空腹を満たすことができるだろうか、と弟子たちに問いかけておられますが、イエスは最初からご自分でしようとすることはわかっておられたのです。ですから私たちは「あなたには何でもできますから、みんなの必要を満たして下さい」と、限りなくイエスに近づいてイエスの祝福を期待していこうではありませんか。
ここに出てくる5つのパンと2匹の魚は、あくまでも神の御業を引き起こすきっかけであり、それだけで終わってしまってはいけません。私たちが祈りを捧げるお方はすさまじい恵みを与えて下さる神であり、この神は私たちに「お前はどこに立つか」と問いかけておられます。単なる見物人や自分の力に頼って右往左往するだけで終わってはいけません。私たちが祈り求めるものに対して満腹以上の満ち溢れる祝福をお与え下さる神が共にいて下さることを知りたいのです。
いつの間にか自分が食べるだけの5つのパンと2匹の魚だけにこだわりすぎてはいませんか。神の恵みはもっともっと大きなものです。たとえあなたが死にそうでも、神の癒しの恵みはもっとすさまじいのです。仕事やお金のことで本当に辛いかもしれません。でも神の恵みは、世界中の祈り求める人々の経済的な必要をあり余るほど満たして下さいます。受験のことでも人間関係のことでも神は恵みを豊かにお与え下さいます。
初代教会のクリスチャンたちは、キリストの恵みの大きさを忘れず4つの福音書全てにこの奇蹟を記しました。私たちもこのことを忘れてはいけません。
あなたの2010年は必ず祝福されます。イエスにはすさまじい恵みがあることを信じて恵みを求めてまいりましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。