【CJC=東京】キリストの愛の「輝かしい例」として、教皇ベネディクト十六世は10月11日、ダミアン・デ・ヴェウスター神父、ジャンヌ・ジュガン修道女ら5人を聖人に列した。
サンピエトロ大聖堂で行われた当日のミサには世界各地からの巡礼が集まった。入りきれなかった人たちのために大広場に巨大スクリーンが設置され、それに見入る人も4万を越えた。
5人の略歴が読み上げられた後に、教皇は列聖を発表、全体教会にとって聖性のモデルである、と宣言した。
聖人に列せられたダミアン神父は1840年、ベルギーのトレメロ生まれ。24歳の時にハワイに派遣され、33歳からモロカイ島カラウパパにある聖フィロメナ教会の神父になった。カラウパパはハンセン病患者の隔離地。ダミアン神父は、献身的にハンセン病患者と接する内に自分も感染し、1889年死去。
教皇は、最後まで「患者と共にいた患者」であることに「やすらぎを覚えていた」とし「彼は私たちを、私たちの目を、私たちの兄弟姉妹の人間性を損ない、そして今日もなお、私たちの奉仕という寛容と思いやり以上のものを必要とする『ハンセン病』を直視するよう招いている」と語った。
ダミアン神父は、ハンセン病患者の、そして近年ではHIV/エイズの「仲裁者」と評価されている。バチカン(ローマ教皇庁)の列聖準備段階では、ダミアン神父を「あらゆる種類のはじき出された人たち、すなわちエイズなど治りにくい病気の患者、見捨てられた子どもたち、将来の見えない若者、搾取される女性、放置される高齢者、抑圧される少数者」の声と評価している。
ジャンヌ・ジュガン修道女は高齢者への奉仕が評価された。高齢者の独特の場と貢献を現代社会が今も再発見している、として教皇は、同修道女が高齢者に人としてのキリストを認めることに優れていたとして、現代社会にとっての「灯台」だったと評価している。
ジュガン修道女は『貧者のための小さな姉妹会』の創設者。1972年、北フランス生まれ。1839年に病気や視力を失った高齢女性の家を始めた。1879年死去。同会は現在も世界各地に「家」202箇所を設置、1万3000人以上の高齢者に奉仕している。
その他、ジグムント・フェリンスキー元ワルシャワ大司教(『マリアの家族のフランシスコ姉妹会』の創設者)、フランシスコ・コル・ギタルト神父(スペインの『祝福された処女マリアのお告げのドミニコ姉妹会』の創設者)、ラファエル・アルナイズ・バロン神父(謙遜と祈りの生活で知られたスペインのトラピスト修道会士)が列聖された。
教皇はまた、日本から訪問した広島・長崎の原爆被災者を祝福、「世界が、罪のない人の生命をあのように大量破壊することを決して二度と見ることのないように祈る」と語った。