生駒聖書学院では朝5時半より猛声祈祷の時間があります。
「私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に」(詩篇57:2)などと、聖書の中には声を上げて呼ばわる祈りが多く記されています。
朝に最初に口にすることばが、一日を支配すると言われます。目覚めとともに神様に感謝し、祈りでスタートするとき、「今日も一日天国の一日です」という幸いを体験できます。
「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします」(詩篇5:4)
種子島で育ち、中学生時代は朝5時過ぎに家を出ないと学校に間に合わなかったため、朝早いのは平気ですが、神学生たちは慣れるまで朝5時起床は厳しいようです。また早起きの他にもう一つとまどいとなるのは、大声で祈ることです。しかし、2週間も続けると声も出るようになり、祈りの醍醐味を体験する者もあります。
なぜ大声で祈るのか、余り理由はありませんが、聖書にそう書いてあるからです。旧約も新約もそのような祈りの例はたくさんあり、彼らが声を上げて祈ったとき、神の御業が現れました。
クリスチャンたちが朝の祈りを始めるとき、日本の福音化はスピードを上げるのではないでしょうか。
生駒聖書学院では、とりなしの祈りのとき、世界の各地で働く宣教師の活躍や、諸問題の解決、北海道から沖縄まで日本全国の救いの業がなされるよう祈り続けています。
大声を出すと眠気が吹っ飛んで祈りに集中できます。また健康のためにも大声は良く、元気溌剌(はつらつ)の一日のスタートにふさわしい朝となります。わずか30秒でもよいので、「主よ!」と、大声で主の御名を呼んで、祈りに専念する朝を体験し続けたいものです。
夜もまた幸いな祈りのときです。今日もまた天国の一日でしたと、感謝の祈りで一日を閉じる時、幸いな眠りが与えられます。
「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への祈りが」(詩篇42:8)とあるように、朝も昼も夜も一日中、神の恵みは豊かにあります。そのことをしっかり自覚して生きる秘訣は祈りにあります。
わすか30秒でも祈りを忘れずに、祈り続けるとき神の栄光を与えられつつ、喜びと感謝に輝いて生きることがきます。
朝の目覚めとともに「今日もまた天国の一日です!」 一日の終わりに、感謝の祈りとともに「今日もまた天国の一日でした!」と。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。