いま大学生の長男が、まだ幼稚園にも行かないころ、私は刑務所へ行った。
刑務所へ行ったといっても、悪事を働いて連れて行かれたわけではない。当時、広島教会の牧師で教誨師をしていた四竃一郎先生に、
「平和会議のためプラハへ行く。できたら留守の間、代わりに教誨師をしてほしい。さらに続けてやってくれたらもっといい」
と言ってたのまれたのだ。当時まだ珍しい、黒塗りの立派な乗用車がやってきて、制服の教育課長さんが挙手の礼で迎えてくれた。どっかと座って去ってゆく私のうしろ姿を、妻と共に、息子が羨望の眼で見送ったのを感じていた。
しかし、生まれてはじめての経験だし、大役だ。緊張しっぱなしの私は、最初の仕事を見事に失敗した。当時は集合教誨といって、希望者数十人を一堂に集めて話をする日だったが、制服の看守さんの号令で、こっちのほうが硬くなる。「なんだ、この若僧が・・・・・・」という視線が矢のように突き刺さる。足がすくんで口が渇いて、思うように話ができない。
やっと気をとりなおし、気分をやわらげねばならぬと思い、とっておきの冗談を言ってみたが笑ってもくれない。冷や汗かきかきなんとか一時間たって、みじめな気持ちで引き下がった。「ああ、やっぱり引き受けなきゃよかったんだ。こんな大役は、もっと年とってからすればよかったんだ」と、後悔しながら帰ってきた。
ところが、私が帰るやいなや、妻は息せききって話しだした。私が出てから間もなく、妻は息子を連れて買い物のため、バスへ乗った。そしたら突然、息子が大声で言ったそうだ。
「お母さん、ボクのお父さん、今日、刑務所へ行ったんだよねッ!」と。
妻はギョッとして息子の口を押さえたがあとの祭り。運転士さんまでふりかえり、みんなの視線が集まって、一瞬たじろいだという。夫婦そろってドジな一日だったワケだ。ところがこの話、まだ続いてオチがある。息子はさらに大声で、得意になって叫んだそうだ。
「ボクも、大きくなったら、刑務所へ行きたいョ!」と。
妻は乗ったばかりのバスを、次の停留所で飛び降りた。
バス賃を払おうとしてたら、美人の車掌さんが、「いりません」といったそうだ。
私は帰ってこの話を聞いて決心した。以来二十余年、月に幾度か行くだけだけれど、ずっと広島刑務所へ行っている。宗教家としてできる一番いい奉仕だと思うし、確実に役立たせていただいていると信じるからだ。
(中国新聞 1982年5月25日掲載)
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植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。