敦賀原子力発電所の事故隠しが、大きな社会問題となった。放射能漏れが人体に重大な影響をもつ以上、それは当然のことであろう。石油資源の枯渇が全人類的問題であるとともに、好むと好まざるとにかかわらず、代替エネルギーとして原子力発電を使用せざるをえない当局者の困惑ぶりが目に見えるようで、なんとも気の毒で仕方がない。そのミスが、実に初歩的な設計上、管理上のミスであるだけに、今後のエネルギー問題の解決に、重大なつまずきをもたらすものとして、当事者ならずとも、残念に思われる。
もう一つ問題になったのは、米原子力潜水艦ワシントン号の日昌丸あて逃げ事件である。源潜の運行という、米国軍事上の最高機密事項であるとはいえ、まる二日間も事故報告をしなかったというのはいただけない。これもまた、艦長をはじめ当事者たちの困惑ぶりが目に見えて、失笑を禁じえない。
しかし私たちも、それを他人事として笑っておられるだろうか。もし真夜中に人をはねたら、逃げたい気持ちが起きないだろうか。だれも見ていなかったら、逃げずにすむ自信があるだろうか。そんなとき逃げずにすむ人間になるために、聖霊の恵みを求めたい。
(恵みの雨 1981年7月号掲載)
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植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。