祈りは、神様にお話しすることであり、求めることです。イエス・キリストの御名によって祈るとき、必ず聞かれます。『神様への緊急電話』(フランシス・G・ハンター)で、以下のような祈りを知り、いつも重荷を主に委ねる平安を体験し続けています。
(1) 象徴的行為として、神様に向って両手を差し伸べます。
(2) できるだけ腕を前の方にまっすぐ伸ばします。こうして自分の手を自分自身からできるだけ遠く離すのです。
(3) 手のひらが上になるようにします。
(4) 手のひらを上にしたままで、心の中にある祈り、願いを神様に申し上げるのです(もしそれが大きな祈りや願いであれば、両手でコップのような形を作り、それをできるだけ自分から遠く離します)。
(5) さてここで祈りの重要なところにさしかかりました。ここで、2つのことのうちどちらかを選ばなければなりません。その手をぎゅっと握り締めて、その祈りの重荷を自分のうちに引き戻すか、あるいは単純に次の段階に進むかです。
(6) ただ手のひらを裏返しにします。すると、「手の中には何も残らないことになります。何かを持っていようとしてこぶしをにごり締めてはいけません。できるだけ指と指を離して伸ばします。
(7)腕を下に下します。こうするならば、何ももとに戻すことはできません。
いつも両手を上に上げて祈っているわけではありませんが、多くの持ちきれないような悩みや苦しみを、下には永遠の愛の御手があることを確信して、全部の重荷を委ねるのです。そのときに、だれでも重荷を負って苦労している者は、わたしのところに来なさいと招いてくださる愛の主が引き受けてくださることを、アーメンとお任せできます。
祈りの答えの第一の恵みは、豊かな平安が与えられることです。問題の最中にあっても、聖霊の慰めと力が体の内にみなぎり、主ともにいます平安で満たされます。
第二に、知恵が与えられます。イライラしないで不平不満や悩みから解放されて、はっきりとした目当てが与えられます。神のなさる最善を信じているので、あわてず、あせらず、いそがずに平安の中で解決していきます。
第三に、感謝の心に満たされ、喜びと希望にあふれて、どんなことにも対処することができるようになります。一時しのぎの解決ではなくて、神がなさる恵みのみ業を信頼することができます。
第四に、思いがけない奇跡的な介入があり、求めていたものが与えられ、捜していたものが見つかり、叩いた門が開かれます。しかも求めたとおりの結果であるだけでなく、思いをはるかに越え、神の栄光が輝く結果となります。
第五に、その祈りを通して神への信頼と愛が増し加わり、自分のことだけでなく豊かなとりなしの祈りへと広がっていきます。
聾(ろう)者の青年は、祖母が脳溢血で倒れて以来、その救いを祈り続けていました。帰省する度に身体をさすったり、肩を揉んだりしながら聖書を開き、イエス・キリストの救いを示すようにしていました。
今年の夏は、牧師が福音を伝え、洗礼を授けるように祈っていました。メールでその願いが届いたので、往復650キロを車で松江市まで行きました。69歳のその祖母は孫の愛に感動し、77歳の祖父も同時に「アーメン。信じます」と、イエス・キリストを受け入れ、バプテスマを受けられました。青年は耳で聞く聖書をその場でプレゼントし、祖父母は身体全体で救われた喜びを表していました。
祈りは、自分で持ち切れない重荷や、悩みを全部主の愛の手にお委ねすることです。イエス・キリストのお名前によって、すべてを全能の愛の手に委ねます。アーメン。ありがとうございます。すべては解決しました。感謝します。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。